サラ・ブライトマン「輝けるディーヴァ〜ベスト・オブ・サラ・ブライトマン」
歌姫のいまの立ち位置が一望にできる
東芝EMI TOCP-70120 ¥2500
ロンドンミュージカルの花として1980年代半ばに注目を集めたサラ・ブライトマン。日本で最初のアルバム「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」(1997年)を出して宣伝のために来日したサラに会ったのは、97年の年末だったか。
84年に世界文化賞受賞者でもあるミュージカル作曲家、アンドリュー・ロイド・ウェッバーと結婚、90年に離婚を経験し、当時すでに35歳だったのに、目のクリッとした、少女のようなかわいらしさが印象に残っている。
そのとき「音楽ジャンルのすき間を狙います」と語っていた。すなわちクラシックでもなくポップスでもない音楽で、その狙いは大いにあたり、サラの後には同じようなセミクラシックの女性歌手が大勢デビューしたが、今なお存在感を放っているのはサラだけ、かもしれない。
これはそのサラの、80年代の録音を含めた、約20年間の歩みをまとめたベスト盤で、サラの立ち位置がよく分かる選曲になっている。
好例はプッチーニ「蝶々夫人」の中の「ある晴れた日に」を下敷きにした「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」。あるいはカタラーニの歌劇曲「さようなら、ふるさとの家よ」を下敷きにした「クエスチョン・オブ・オナー」やヘンデルの「サラバンド」を用いた「サラバンド」だろう。ともにクラシックをベースにしながら、欧州のエレクトリックビートを用いて今ふうのダンスナンバーに仕上げている。「クエスチョン・オブ・オナー」「サラバンド」は日本でも番組テーマやCMなどで使われてテレビからも流れた。
僕自身は久しぶりに聴くサラの作品になるのだけど、本人は「すき間」という言葉を使ったが、サラの音楽はすき間をすりぬけるものではなく、すき間を埋めるものとして成長し続けたのだなあという思いを強くした。
もっとも個人的には、ミュージカルを離れて脚光を浴びるきっかけになった、アンドレア・ボチェッリとのデュエット曲「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」や、クイーンのカバーである「リヴ・フォーエヴァー」のような、オーソドックスでドラマティックな編曲に乗り、地声であるかわいらしい声の魅力を全開にさせた歌のほうが、好みなのだけど。
もっとも、それは10年前に会った印象に引きずられているせいかもしれない。CDのブックレットには過去のCDの装丁写真などがいくつも掲載されているけれど、まあ、ずいぶんと妖艶な女性に変貌しものだなあとびっくりさせられた。
(ENAK編集長)
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