宝塚音楽学校はレトロな旧校舎時代の最後の卒業生となった。
「やはり強烈な思い出はトコトンやる掃除ですね。私は玄関の“看板掛け”担当。歴代、轟さん(悠=専科)や麻路さん(さき=元星組トップ)らすごい先輩たちがやっていらしたそうで、歴史の重みを感じていつも緊張しながらやっていました」
平成10年「シトラスの風」で初舞台。宙組が誕生した年だった。翌11年に雪組配属となり、早くも「ノバ・ボサ・ノバ」新人公演でボールソ役に抜擢(ばってき)される。12年の宝塚バウホール公演「ささら笹舟」では
貴城けいが演じる主人公、明智光秀のいとこ・光忠役を好演した。「谷先生(正純=演出家)に日本物の基本からしごかれて、たくさん泣かされました。こんな作品に主演する貴城さんはすごいって思いましたね」
この年はドイツ・ベルリン公演にも選抜メンバーとして参加。「私、海外に行ったのもこのときが初めてで、ドキドキしました。出発の日が誕生日(6月19日)だったんですが、時差の関係でベルリンに着いた日もまた誕生日。同期が2度お祝いしてくれたんです」
帰国後の大阪シアター・ドラマシティ公演「月夜歌聲」では京劇の若者、馬風来を演じたが、「一番、頭を打った公演」だったという。「頭で理解しても、お芝居に全く対応できない。涙も出てこないぐらい苦しくて、ずーっとけいこ場にいた記憶があります」
そんな経験が生きたようで、13年「猛き黄金の国」新公で初主演を果たす。実在の人物、岩崎彌太郎の半生を描く日本物だった。
「まだ主演なんてありえないと思っていたので、これは間違ってると動揺しました。本公演では轟さんが主演されていて、20代から57歳まで演じなければならない。そのとき、相手役の
紺野さん(まひる=のちの元雪組娘役トップ)に、『今、ありったけのものを出せば周りも納得してくれる』とアドバイスをいただいて。やるしかないんだってふっきれました。紺野さんが相手役で本当によかったです」