−−デザインやエンターテインメントには子供のころから興味があったのですか
任田幾英 姉がバレエをやっていたので観る機会は多かったのですが、文学のほうが好きでした。絵は下手で、学校の宿題も姉に代わりに描いてもらっていたぐらいです。太宰治や坂口安吾が好きで、そのうちフランス文学に出合い、サルトルに夢中になってね。自分の性格が虚無的で、明日に夢を持つのが苦手なタイプだったからでしょうか。ジャン・コクトーにあこがれて油絵を描いたりもしていました。「居酒屋」や「どん底」など古いフランス映画も好きで。それで昭和40年にたまらずパリへ行ったんです。
−−当時のパリは?
任田 街がまだすすだからけで真っ黒で暗かったですよ。ちょうどぼくの行ったころから街を洗い始めていて、明るく変わっていくパリを見られました。そこでぶらぶらしながら、デザインや絵の勉強を始めました。
−−サルトルと宝塚歌劇のイメージは一致しませんが。
任田 でも、非条理で何でもありの世界観は、宝塚も同じかなと自己流に解釈しています。ぼくがデザインを考える上で、キャラクターの奥底を読み取るのも文学に通じる。心情を読んで色使いを考えるのが楽しいですね。宝塚歌劇団の演出家、正塚晴彦の作品なども、ニヒルに構えているけれど根底にはヒューマニズムが流れているのも、文学的だと思いますよ。
−−宝塚歌劇団との出合いは?
任田 パリ公演に来ていたタカラジェンヌたちが、デザイナーのクリスチャン・ディオールのお店に招待されて来たのを偶然見かけてね。みな、フィナーレで着る真っ白な衣装で、メークも少し舞台化粧ぽい感じにして、本当にきれいだったんですよ。
−−魅せられた?
任田 そう。暗い文学の世界から、だんだん明るい世界へ変わっていった(笑)。そうして翌年帰国したとき、知り合いから偶然、白井鐵造先生(宝塚歌劇の演出家の大御所)を紹介されて、お誘いを頂いたのです。
−−入団の決め手は
任田 それまで宝塚歌劇を観たことがなくて、白井先生に怒られて2本観ました。そのうち日本物の「紫式部」がものすごくきれいで、すごいなあと思ってね。
−−再び美しさのとりこになった
任田 そうですね。でも、別の仕事を考えていたのでお断りしようとしたのですが、白井先生に「試験だけでも受けろ」と言われて、論文を書いたら採用になってしまって。最初の給料は世間の半分以下でした。ところが、入団後は1年ごとに倍、倍と上がっていった。仕事を認めてくださったのでしょうが、これにはびっくりしましたね。
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