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専科 松本悠里(4):タカラジェンヌ夢の軌跡
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春日野八千代とのコンビに感激
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「神田祭」を舞う春日野八千代(右)と松本悠里=宝塚舞踊会 |
宝塚歌劇の日本物ショーは、オーケストラの洋楽で日本舞踊を踊るという、“レビュー・スタイル”を開発した輝かしい歴史を持つ。松本流の名取だった松本も、宝塚に入団後は流派を超えたレッスン環境で磨かれた。「宝塚のすばらしさは、藤間流、花柳流、山村流などの超一流の先生方に指導していただけること。私の踊りは“宝塚流”なんですよ」という。
また、こうした本公演での日本物ショーとは別に、勉強会の意味で年に一度、本格的な和楽で踊る「宝塚舞踊会」がある。松本は昨秋で45回を数えた舞踊会に、30回は出演している常連だ。
「踊りは奥が深い。やはり基本がしっかりしていないと、品格に欠けるんです。宝塚の舞の名手といえば、往年の天津乙女さん(故人)。私は下級生のころに、同じ場面で踊ったことがあるんですが、ホントに足裁きのきれいな方でした。それに、あこがれの春日野(八千代=専科)先生は、美しくて、気品があって、うっとりします。初めて相手役として踊らせていただいたとき(昭和55年の花組公演「花小袖」)は、自分がソロのシーンをもらったときよりもうれしかったですね」
その後は、記念式典や舞踊会などで、春日野とコンビで踊る機会が多くなった。昨年の宝塚歌劇90周年の幕開けを飾った「飛翔無限」でも、轟悠(専科)との3人で華やかに祝舞を舞っている。
独自の舞の世界を完成した名手は、戦後に入団した生徒としては初めて、平成元年に宝塚歌劇団理事に就任。2年には宝塚バウホールで「能楽撰」と銘打ったリサイタルを開いて絶賛された。10年に宝塚から初めて「文化庁長官表彰」、12年に「兵庫県文化賞」、13年に「菊田一夫演劇特別賞」を受賞。14年には宝塚音楽学校理事にも就任した。
「私はあくまで生徒の代表としての立場ですが、ありがたいことです。次の100周年に向けても、上下関係がきっちりしているという、宝塚の根幹は今のままで間違いないと思っています」
(次回から宙組トップスター、和央ようか)
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