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専科 松本悠里(3):タカラジェンヌ夢の軌跡
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世界中の観客を魅了する舞い姿
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宝塚歌劇団は海外公演を戦前から行い、国際交流に大きく貢献している。その海外公演に欠かせない日本物ショーのシンボルとして、松本の存在は圧倒的だ。昭和40年の第2回ヨーロッパ公演(パリ)を皮切りに、50年第3回ヨーロッパ公演(パリ、旧ソ連)、53年中南米公演、60年第5回ハワイ公演、平成元年ニューヨーク公演、6年ロンドン公演、10年香港公演、12年ベルリン公演と、計8回の最多経験者である。
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NY公演での「雪しまき」 |
「それぞれに思い出深いんです。最初のパリのときは私はまだ下級生でしたが、若山かずみさんと娘役2人だけで、地唄舞を踊らせてもらったのがうれしかったですね」
日本人形のような美しく、愛らしい舞い姿は世界中の人々を魅了する。次のパリ公演では彼女の写真がプログラムの表紙に使われたし、モスクワでは町を歩いているときに、「テレビで見ました」と声をかけられたこともあった。そして、忘れられないのはニューヨーク公演の感激だという。
「私は、雪の降りしきる中で女の情念を切なく表現する『雪の抄(雪しまき)』を踊ったんです。ラジオシティの6000人も入る大きな劇場で、舞台に立つとライトがカーンと当たる。震えるような感動でした。とくに千秋楽のフィナーレで満員のお客さまのスタンディング・オベーションを見ていると、まさに映画の世界のヒロインになった気分を味わえましたね」
海外公演は移動の大変さに加えて、劇場や習慣の違い、現地VIPとの懇親などもある。「昔は飛行場での出発や到着のときにも、振袖に着替えたんですが、最近はパーティーのときぐらい。移動は普段の洋服になったのでラクです。それに海外に行くとなぜか、上級生順に強くて、元気なんですよ」。ほっそりした松本だが、心身ともにタフなようだ。
どこの国でも大使館の人たちから、「宝塚歌劇を紹介できることは誇りです」といわれるそうで、「身が引き締まりますが、組織がしっかりしていて、劇場の設備も立派。改めて宝塚ってすばらしいと思いますね」
(つづく)
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