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専科 松本悠里(2):タカラジェンヌ夢の軌跡
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舞台人生変えたモルガンお雪
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「夜明けの序曲」のモルガンお雪役 |
神奈川県鎌倉市で生まれ、3歳から神戸で育った。日本舞踊の素質は天性のものだったらしい。5歳で御殿●(=ニンベンに「舞」)の流れをくむ松本流を習い始め、中学生で名取(松本尚術)になる。
「父が、私の顔立ちや内股で歩く姿などを見て、日舞が合っていると言っていたそうなんです。習い始めたのは父が亡くなったあとですが、“遺言”みたいに思ったのか、母はおけい古にはすごくきびしかった」
神戸松蔭女学院高校卒業後、宝塚音楽学校に入り、昭和32年3月「春の踊り」で初舞台。翌年雪組に配属される。
「宝塚は、春日野(八千代=専科)先生の美しい舞台姿にあこがれて大ファンになり、宝塚で日本物ショーを踊ってみたいと思いました。ただ、母への反抗心もあって、音楽学校時代はバレエのほうがいいと思ったこともありましたけれどね」
初舞台では恒例のラインダンスを踊ったし、雪組時代は芝居もダンスもひと通りこなし、むしろ日本物ショーは少なかったそうだ。49年舞踊専科へ移ってからは日舞一筋。そんなとき、鳳蘭(元星組トップ)の退団公演になった芝居「白夜わが愛」(54年)への出演が決まった。
「もうお芝居はしないだろうと思っていたので、びっくり。金沢芸者の役で踊りだけと言われたのに、台本をもらったらセリフもしっかりある。じつは、あとで知ったんですが、演出の植田先生(紳爾=前宝塚歌劇団理事長)の“愛のむち”だったんです。踊りが技術ばかりになっていないか。芝居をやらせて、ハートが大切なことを気付かせたいと」。何度か芝居に出たあとのあるとき、「『もう大丈夫、踊りにハートが出てきた』と植田先生に言われて、涙が出るほどうれしかった」という。
そして、最高の当たり役となる「夜明けの序曲」(57年花組)のモルガンお雪と出合う。
「私の舞台人生の中でエポックになった役。お芝居の中で地唄舞もあり、お茶をたてながら主役を説得するシーンもあり、洋装にもなる。すごく難しくて、とても好きな役です。17年ぶりの再演(平成11年花組)では絶対に私がやるって気持ちでした」(つづく)
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