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宙組 和央ようか(2):タカラジェンヌ夢の軌跡
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バウ主演で立役の評価高まる
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「大上海」の陳君里役 |
大阪出身。宝塚歌劇は同級生に誘われて見た2度目の観劇で、「ジュテーム」(昭和59年)の大浦みずき(のちの花組トップ)のダンスにあこがれ、「あんなふうに踊りたい。ここに入ろう」と決めたという。
「私もその友だちもバレエを習っていて、2人で勝手に決めて誓い合ったんです。親の大反対を押し切って、1回だけの条件で受験したら合格して。ところが、友だちはドタキャンしたんですよ。今は客席でニコニコ笑って見てますけれど」
人生、何がきっかけになるかわからない。初舞台は昭和63年「キス・ミー・ケイト」で、大浦のトップ披露公演だった。「大浦さんが目の前で踊ってらっしゃる。もういつやめてもいいと思うぐらい超ラッキーで、ミーハーしてました」
雪組に配属され、2年目の新人公演で「ベルサイユのばら〈アンドレとオスカル編〉」のオスカルに大抜擢。主役のアンドレは轟悠(専科)である。「轟さんの初めてのラブシーンの相手が私というのは、今では有名な、歴史的な話。でも当時は稽古場にいることすら申し訳ないような、衝撃的な出来事で全然楽しめなかった」
平成13年に「同〈フェルゼン編〉」で主役のフェルゼンを演じたとき、改めて“ベルばら”が特別な作品だと痛感。「プレスの数の多さも全然違うし、前夜祭では、私よりお客さんの方が作品のことをよく知っていた。神聖な作品だからちゃんとやらなければ」と思ったそうだ。
新公初主演は平成5年「天国と地獄」で、宝塚バウホール初主演は7年「大上海〜グランシャンハイ〜」の陳君里役。スリムな長身にロング丈の中国服がよく似合った。9年のバウ「嵐が丘」では、それまでの宝塚作品にはなかった屈折した主人公ヒースクリフを好演し、立役としての評価を高めた。
10年は香港公演に参加したあと、宙組の発足に伴い、トップの姿月あさとに次ぐ2番手として組替え。「“ベルばら”新公以来の衝撃でした。自分は雪組から出ることはあり得ないと思っていた」そうだが、この組替えがトップ昇格を早めることになる。
(つづく)
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