宝塚音楽学校の卒業試験の当日が、あの阪神大震災(平成7年1月17日)。
「寮で寝ていたんです。地震だって思ったぐらいで、試験があるかどうかのほうに神経がいって。あんな大変な災害だと気付くのにはずいぶん時間がかかりました」
初舞台は、宝塚大劇場が再開した同年3月31日初日の星組公演「国境のない地図」。そのまま星組に配属となり、翌年11月のウィーン・ミュージカル「エリザベート」ではダンス力を買われて黒天使に抜擢(ばってき)される。
大きな転機になったのは入団5年目のブロードウェー・ミュージカル「WEST SIDE STORY」(11年2月)。本公演ではベイビー・ジョン役、新人公演ではリフ役を、若さいっぱいに好演した。
「それまでは踊りが一番好きで、歌や芝居は苦手意識があったんです。そんな時期に、正塚先生(晴彦=当時の演出補)にコテンパンに仕込んでもらったのが、この作品。初めて芝居のおもしろさがわかって、芝居が大好きになり、芝居の延長として歌も好きになっていったんです」
新公初主演は同年10月の「我が愛は山の彼方に」の朴秀民役。
「全く予想もしていない出来事。“真ん中芝居”って、ライトがまぶしすぎて立つ場所もわからない。相手役が先輩の
秋園さん(美緒=万姫役)だったので、全部教えてくださった。本役のノルさん(
稔幸=当時のトップ)にもビシッと厳しい意見を言われて、目が覚めたように私の気持ちが変われたんです。本番のあとノルさんから『よかったよ』といわれたときは、涙が止まりませんでした」
その後は宝塚バウホール公演「エピファニー」の安東新五郎役(11年)、「花吹雪 恋吹雪」の石田三成役(12年)など印象的な役作りで注目度がアップ。新公主演も「花の業平」の在原業平役(13年)、「ベルサイユのばら2001・オスカルとアンドレ編」のオスカル役(同)と計3回務めた。
「だんだん与えられる場が大きくなって、責任感が芽生えてきた。自分の方向性が変わった時期ですね」