専科 初風緑(2):タカラジェンヌ夢の軌跡 |
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組替えで大役に出会い急成長 |
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10月7日(金) 大阪夕刊 by 平松澄子 |
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「WEST SIDE STORY」のリフ役 |
東京都出身。実践女子学園高校3年の春、演劇部の友人に付き合って見た宝塚歌劇にはまり、急きょ、受験を決めて1回で合格した。
「高校の先輩に真琴さん(つばさ=元月組トップ)がいらして、後輩だった演劇部の友人に連れられて見に行ったのが最初。見たことのない世界で、あそこに存在できればいいなと思ったんです。じつは父方の叔母が宝塚出身なんですが、私には舞台を絶対に見せるなってたくらんでいたらしい。習い事もしていなかったので、父に受験したいと話したとき、顔がひきつってましたよ」
運命が宝塚へ導き、大きく道を開いたようだ。昭和63年「キス・ミー・ケイト」で初舞台。花組に配属され、平成6年「ブラック・ジャック 危険な賭け」の新人公演で初主演。「手も足も出なかった。ただ、すっごく努力した分、すっごく好きな役になりました。そのすぐあとで『たけくらべ』の正太郎役を演じたとき、初めてお芝居が楽しいって感じましたね」。
このあと立て続けに新公の主演をつとめ、順調に歩んでいたが、9年に舞台から落下するというアクシデントに見舞われ、首にケガをして休演。同年4月宝塚バウホールの「君に恋してラビリンス!」で復帰したあと、10月には月組へ組替えになった。
「ケガも大変でしたが、組替えはありえない大事件で、すっごいショックでした。ところが実際に替わってみると、何で悩んでいたんだろうというくらい、スポンと月組に入れました」。そして、代表作のひとつとなった「WEST SIDE STORY」(10年)のリフ役に出合う。東京での宝塚歌劇の通年公演が実現した、1000days劇場のこけら落とし公演だった。
「有名な映画は知っていましたが、当時の私はリフがどういう役なのか、よくわかっていなかった。歌もダンスもハードな役でしたが、マミさん(真琴=トニー役)もリカさん(紫吹淳=ベルナルド役)もそろっていて、今から思うと楽しかったですね」
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