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収録曲

1.レフト・アローン
2.アフロ・ブルー
3.ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー
4.シンス・アイ・フェル・フォー・ユー
5.アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー
6.イフ・アイ・ワー・ア・ベル
7.ミスティ
8.朝日のようにさわやかに
9.エンジェル・アイズ
10.オン・ア・クリア・デイ
11.バード・アローン
12.奇妙な果実
不世出のジャズ歌手、ビリー・ホリデイ。彼女の晩年を描いた舞台「レディ・デイ・アット・エマーソンズ・バー&グリル」でビリーを演じた無名の女優が、ビリーにあまりにも似ていることから、ジャズ歌手としてデビューした。レディ・キム。デビュー作「レフト・アローン」(ヴィレッジ・レコード/VRCL-18818/¥2,835(税込))は、かつてビリーが録音を残さなかったスタンダード曲を中心に選曲し、“ビリーが生きていたら”という、歴史のもしもに挑戦したような内容。といって、難しく考えることはない。ピアノトリオによる伴奏を従えた歌もの作品として、しっとりとした情感を堪能できる。公演とCDの宣伝のために来日したレディ・キムにインタビュー。明るくチャーミングな女性だった。

text & photo by Takeshi Ishii/石井健
── ジャズ歌手の経験はないんですよね?

■レディ・キム:ジャズを歌ってCDを作るのは、これが初めてになります。ただ、以前、ほかの分野で歌ってCDを出したことはあるんですよ。

──舞台「レディ・デイ・アット・エマーソンズ・バー&グリル」でビリー・ホリデイを演じ、うたったのがジャズ歌手としてのスタートになるわけですね?

■キム:ジャズをうたうという行為だけでいうなら、昔からやっていました。いちばん古い記憶にあるのは、15歳のとき。あるオーディションで「マイ・マン」(原曲はシャンソンだが、ビリー・ホリデイをはじめジャズ歌手がこのんで取り上げるスタンダード曲)を選んでうたいました。ほかの子供たちは、「アニー」などミュージカルの歌をうたっていましたけど。
本名・キンバリー・ゾンビック(Kimberly Zombik)。
メイン州生まれ、マサチューセッツ州ボストン育ち。
幼少のころからダンスのレッスンを受け、バーブラ・ストライザンド主演の「スター誕生」を見て歌うことに興味を覚える。17歳の時に母親に薦められて見たダイアナ・ロス主演の映画「ビリー・ホリデイ物語 奇妙な果実」でビリー・ホリデイを知り、一気に魅了される。
高校卒業後マサチューセッツ大学の芸術科に入学し、在学中からクラブなどに飛び入り参加し始める。地元で活動を開始した彼女はレゲエ・バンドの歌手として活躍。1990年から93年にかけてノース・イースト・カレッジ・ツアーに参加、90年には国連ホールで公演されたミュージカル「Hair, For the Next Generation」で主役となり、92年にノーサンプトン芸術センターでのロック・ミュージカル「In the Blood of Black Woman」でも主役に選ばれる。
その後も活動の幅を広げてファンクやリズム&ブルース、あるいはジャズ・バンドなどで歌う。97年からはStashというグループで活躍、CD「Cover to Cover」を吹き込んでいる。Stash解散後はメンバーが集まってLive on the Planetというバンドを結成。彼女はこの時から作曲や作詞も手掛けるようになり、インディーズからCDを発表。2001年には「レディ・デイ・アット・エマーソンズ・バー&グリル」のオーディションに志願、ビリー・ホリデイ役に抜擢される。同劇の主役として数回来日を果たしている。
──それは、ミュージカルのオーディションでしたか?

■キム:いいえ、ボストン近郊にある老人ホームなどを慰問する合唱隊のオーディションでした。私はずっと歌手にはなりたかったので、そのオーディションに受かったことが、夢への一歩になりました。

──なりたかったのは、どんな歌手ですか? ジャズ歌手?

■キム:有名な歌手! ふふふ。まじめに言うなら、そのときどきの気持ちを表現できるような歌手ですね。具体的なイメージはとくにありませんでした。

──有名な歌手になりたかったあなたのもとに、有名な歌手の役の話が飛び込んできたわけですね

■キム:ビリー・ホリデイには、ずっとあこがれていました。彼女の歌は、感情移入しながら聴くことができる。もしも、ビリーを演じるようなお芝居があるのなら、やってみたい。もちろん漠然とでしたが、そう考えたりもしたものです。まさか、ほんとうにビリー・ホリデイを主題に、しかも、歌をうたう舞台があるなんて、「レディ・デイ・アット・エマーソンズ・バー&グリル」のことを知ったときは驚きましたね。オーディションを受けたらビリーの役に選ばれちゃったのですから、さらにびっくり。

レディ・イン・サテン
ビリー・ホリデイ晩年の作品「レディ・イン・サテン」のジャケット。その高貴な歌い姿から、レディ・デイという愛称で呼ばれていた
──ビリー・ホリデイは伝説的な存在。受かった後から、いろいろと悩んだりはしませんでしたか?

■キム:「どうしよう」と、うろたえたりすることはなかったです。先ほども言いましたが、私はずっとビリーの歌が好きで、自伝や研究書も読みあさっていました。だから、自分の中にビリー・ホリデイ像が蓄積されていました。それを外に向けて放出できるのだ、という思いのほうが強かったです。ただ、この舞台に立つまで女優の経験はなかった、その点については、いろいろと勉強することが多かったですね。



──じゃあ、役作りの必要もなかったんですね?

■キム: そうですね。ただ、この舞台は、ビリーが亡くなる数カ月前のある晩を描いたものなので、死を迎える直前の人間を毎晩演じなくてはならない。それは辛い作業ですね。毎晩終演後は、涙が止まらない。だけど、翌日はリセットしなくてはならない。そして、ずっとこの舞台を続けているうちに、せりふに対する解釈が変わりました。その結果、自分自身と役とが交錯し始めています。

──えーと、お話ぶりからすると、舞台はまだ終わっていないんですね?

■キム: はい。まだ、続きます。

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