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淀川長治の銀幕旅行
「失楽園」なんともおとなしい日本人
この記事は産経新聞97年5月6日の夕刊に掲載されました。
死ぬぐらいなら、家を捨てても生き抜くほうが2人の恋は立派であろうのに、2人は死に急ぐ。近松の昔から心中は日本の名物となってはいるが、近松の心中は芸術となった。せっぱ詰まってニッチもサッチもいかなくなって、この世の地獄の責め苦から落ちてゆく心中だったからだ。

ところが、この映画の心中。その苦しみが、モダンとでもいうのであろうか、現代風の、むしろ春雪さながらの美しさで描かれてゆくのであろうかと、そう思うと、死ぬ前に2人がコッテリと愛し合う。それがあまりにも美しくないので、雪の夜の心中がババっちくなった。

表情のないのは、日本人の特質だから仕方がない。死を決めた2人がセックスをするのは、いっこう構わない。むしろ、そうあるものであろうが、とにかく命を絶つのだから、悲しいよ、怖いよ。

しかし、この2人は夢うつつとその死に酔ったのかどうか、この映画、毒薬を男の口から女の口へ流すのでさえ夢心地。そうなれば、心中などと家も嫁も子も捨てる男女の、もう常人でない気の狂いあればこそなのであろう。

が、この夜のセックスがアメリカ映画、フランス映画、イタリア映画などの、あんなやり方、こんなやり方、それをそのままの画面の演技。演技としか思えない。それにおとなしい2人の死の直前の表情。日本人は死にあたってもうろたえぬという美徳を語り伝えてはいる。

けれど「死」の前に、このようにうろたえることもなくセックス一途(いちず)に狂気のスタイルをとれるものであろうか。

愛し合った2人が、死ぬと知って今一度、今一度とセックスにしがみつくのは結構ながら、いくらなんでも死の前には、髪の毛一本一本が立つほどの殺気がウズを巻くのではなかろうか。目が口がもう、狂っている。そのような恐さを見せるのではなかろうか。

この映画を見ていると森田芳光監督にも主演者の2人、その役所広司、黒木瞳にしても努力賞を差し上げたい気になって、まだ読まぬこの原作(渡辺淳一著)のこの男女二人も、かくおとなしく、かくああなのかと読みたくなった。

 (映画評論家)



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故淀川長治さん

平成2年から10年まで産経新聞に掲載された連載の再録です。

失楽園

監督:森田芳光

原作:渡辺淳一

脚本:筒井ともみ

製作:原 正人

撮影:高瀬比呂志

編集:田中慎二

美術:小沢秀高

音楽:大島ミチル

出演

役所広司、黒木 瞳

寺尾 聰、星野知子

柴 俊夫、木村佳乃

小坂一也、あがた森魚

石丸謙二郎、原 千晶

平泉 成、岩崎加根子

中村敦夫