「萌の朱雀」荒削りだが みずみずしい感性
この記事は産経新聞97年8月26日の夕刊に掲載されました。
このタイトルを読める人は偉い。無教育の私は、てんで歯が立たない。文芸雑誌の一等当選の注目作のごとき題名である。
映画を見た後もまだ、この題名のことがソーカ、ソーカと納得いかぬのは、この河瀬直美監督自身による脚本が映画学校の一年生のごとき脚本で、てんで人生が描ききれていないからだ。
このおやじは死んだのか生きているのか。あの若い母親は死んでしまったらしいと思うとそうじゃない、というこの脚本は、文字を持たぬ、目で分かる説明が必要な映画ではまったく困る。
しかし、もっと気になったのは、録音のひどさ。ピアノがカミナリのごとく耳に飛び込み、田園の緑の美しさを壊すのだ。ただ一つ風鈴の音、ここでホッとする。この風鈴の神経が、なぜもっと全編に行き届かなかったのだろう。
しかし、このとき監督は二十七歳、しかも長編デビュー。カメラなど“周囲の助け”が、やりすぎをさせなかったのではないかと憶測する。
カメラは美しい。それも当然。小川紳介のドキュメンタリー、あの『ニッポン国古屋敷村』のカメラマン。あきれるほどの美しさだ。しかし、待てよ。いき過ぎているぞ。そう思うフシが目にしみた。農村の人たちの顔にほれ込んだか、映画の半ばで、その素人の人たちの顔が、これでこの映画が終わったかのビックリのクローズアップ。ピアノの音は絶対困ったが、このカメラは「分かった、分かった」と楽しみながらも、ときに映画からはみ出した。
映画は町を歩くあらゆる人に見せるべきである。ビリー・ワイルダーの映画がそうだし、すべてそう。脚本をもっと勉強すべきであった。監督のこの若さに味方するなら、この映画、カメラと録音に痛めつけられた。
しかし、この題名。この映画、フランスで賞をもらったが、この題名、フランス語で訳されて出てくるとカッコよかったか。
とにかく、文句いっぱいながら、近ごろもっともみずみずしい映画。見た後、この映画、ほめてあげたくなる。
(映画評論家)
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平成2年から10年まで産経新聞に掲載された連載の再録です。
萌の朱雀
監督・脚本:河瀬直美
製作:仙頭武則、小林広司
撮影:田村正毅
編集:掛須秀一
照明:鈴木敦子
録音:滝沢修
音楽:茂野雅道
美術:吉田悦子
出演:
國村隼、尾野真千子、
和泉幸子、柴田浩太郎、
神村泰代、向平和文、
山口沙弥加
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