「魅せられて」ふるさとに戻った
ベルトルッチ監督のモノローグ
この記事は産経新聞96年6月25日の夕刊に掲載されました。
「リトル・ブッダ」のあとのベルナルド・ベルトルッチ作、1996年イタリア、1時間58分カラー。
母国イタリアを舞台にした作品は15年ぶりだが、見るとなるほどイタリアの美術ガラスのきらめきを受けた。イタリアのムラノのどっしりとした色ガラスではなく、ベネチアングラスの軽やかな美術ガラスを思わせた。二度見たくなったがまだ見ていない。
ストーリーはメロドラマをレースで包んだごとく、あたかも日曜日の公園で、遠くの遊園地で求めてきた綿菓子を面白がってなめるよう口にほお張る感じの、とても甘くスイートなものだった。母が自殺し、実の父を求めてアメリカからイタリアのトスカーナに十九歳のルーシー(新人リブ・タイラー)がたずねてゆく。そこは彼女が初恋のキスを交わした思い出の土地でもあり、母の親友の芸術家(ドナール・マッキャン)とその妻(シニード・キューザック)の家でもあって、そこに招かれてのふるさと帰りでもあった。
「ラストエンペラー」「シェルタリング・スカイ」に比べると非常にタッチがフランスふうで、「暗殺のオペラ」「暗殺の森」「ラストタンゴ・イン・パリ」の厳しい美しさもうせて、「ルナ」のころの倦怠(けんたい)を感じたベルトルッチ休息映画とも思えた。だがルーシーが父を探し求めにきた芸術家の家に集う初老に近い連中が、もう一息生きて心に迫ってこない。これはベルトルッチが新人のリブ・タイラーを群を抜いて生かそうとしたからだとも見えた。
母の親友のグレイソン役のドナール・マッキャンはヒューストンの遺作「ザ・デッド」に出ていた素晴らしい中年男優。それに白血病の劇作家(ジェレミー・アイアンズ)、すっかり老けたジャン・マレーなどが出るこの芸術家の集まりにフランスのゲランの香水を思わせて、あのステファニア・サンドレッリも加わってうれしく楽しくイタリアの美術ガラスを感じたものの、主人公の娘が父を感じとったという本題は霞と消えた。
(映画評論家)