「ミセス・パーカー ジャズエイジの華」
この記事は産経新聞96年09月10日の夕刊に掲載されました。
ミセス・パーカーを何者かと思う人が今は多かろう。ドロシー・パーカー(1893−1967)、映画のシナリオライター。あの彼女の映画が、とびっくりの古い映画ファンも多かろう。
彼女をめぐるあらゆるニューヨーク派が登場する。ベン・ヘクトとリリアン・ヘルマンが出てこないのが不思議であり、映画監督のウィリアム・ワイラーくらいが出てきてもと思うくらいニューヨークその筋の作家が入り乱れ登場するいわゆる舞台裏もの。舞台裏といってもそれら作家の日常スケッチに加えて、ドロシー・パーカーの酒びたりと愛欲の中の苦しみを描く。
ロバート・ベンチリー、チャールズ・マッカーサー、ロバート・E・シャーウッド、ジョージ・S・カウフマン、エドナ・ファーバー、アレクサンダー・ウールコット、マーク・コネリー、これら登場者の名を並べただけで、映画がこの人たちをと胸とどろかす。「哀愁」の、「生きているモレア」の、「我が家の楽園」の、「我等の生涯の最良の年」の、「ザ・グリーン・パスチャーズ」の作家およびシナリオライターのそっくりさんが続々と出てくるのだが、映画は同じくシナリオライターのパーカーの、人を食った意地っ張りでしかも気の弱い酒びたりの彼女を描くことで、彼女をめぐる興味シンシンの作家たちは目まぐるしく登場するそっくりさんにとどまった。この映画は脚本・監督アラン・ルドルフの苦心さんたんの結果の失敗作。
とにかくこの一九三〇年代のアメリカのニューヨーク、このころ発行の「ヴァニティ・フェア」「ザ・ステージ」「シャドウ・ランド」「ザ・ダンス」「ニューヨーカー」、これら雑誌を手にしてもいかにニューヨーク派作家がハイクラスかがわかり、それらのエリート・スノッブをも盛り上げた連中を“見る”ということでこの一作は価値を持つ。製作がロバート・アルトマンゆえのお好み映画と思えばいい。
主演はジェニファー・ジェイソン・リー。それにキャンベル・スコット、マシュー・ブロデリックなどの助演。
(映画評論家)