Kids Return
この記事は産経新聞96年4月9日の夕刊に掲載されました。
若者をこれだけつかみ出した映画を見ると目頭が熱くなる。
若者時代のやさしさとこわさ。どうにも手をつけられぬ高校生のその日常の、彼なりの考えの“こわさ”が哀れ。若者をつかんでこれくらい振り回した胸のスカッとする映画も珍しい。胸をスカッとさせながら、見ていてこわくてたまらなくなる映画。
シンジ(安藤政信)とマサル(金子賢)は高校同級生。マサルが強い。2人は自転車の曲乗りをする。シンジがハンドルにうしろ向きに乗り、マサルが荷台にまたがって両手を伸ばして舵を取る。
映画の2人はこの自転車の危険な曲乗りに“二人”を見せる。画面に出る若者のいたずら、若者のあせり、若者のカライバリ、若者のそれらの“単純”が面白く悲しく、そしてこわい。
若者映画のこの荒くれ、この幼稚、これをこれくらい見せた監督の手腕はたいしたものだ。破れかぶれ、しかしそうなってゆく“男”の青春が描かれてゆく。まさにヤクザ映画のいやらしさをあふれさせながら、これはこの監督自身が嫌がる言葉だろうが“教訓映画”だった。コブシの強いだけがカッコイイ、その何たる愚かしさ、それを見せてこの愚かしさに哀感を隠した。
ヤクザが狙う。アミにかかる。やがてシンジはボクサーとなり、チャンピオンの候補とトレーナーが喜ぶそのころ、マサルは姿を消した。監督、脚本、編集、北野武。「その男、凶暴につき」「あの夏、いちばん静かな海。」「ソナチネ」「みんな〜やってるか!」に続く一九九六年夏封切り作。
このように北野作品はいつも“男”を描いて強烈である。そしてその作品の若い男のどれもがもがいているか、孤独のまま口を閉じている。これじゃたまんねぇと走り出した映画の「みんな〜やってるか!」も、“男”むきだしの男の映画。ユーモアも激しい。これらの男を描いて、それも“今日の若者”を描いて、北野武の映画で綴る“目”は鋭い。見てほしい。若者映画のケッサクだ。
(映画評論家)