「ジキル&ハイド」けったいな! しかし見る必要あり
この記事は産経新聞96年08月20日の夕刊に掲載されました。
有名なロバート・ルイス・スティーブンソンのこの小説は何度も映画化されて、サイレント映画でジョン・バリモア、トーキーになってフレドリック・マーチ、スペンサー・トレイシーと、男性スタアというよりも舞台なら名門の第一級俳優の出しものとして登場した。
ところが今度は原名『メアリー・ライリー』と女の題名となり、ジキル博士の屋敷に召し使いとなって雇われてきたメアリー(ジュリア・ロバーツ)を看板に書き換えた。バレリー・マーティン女史の小説の映画化。なぜ有名な『ジキルとハイド』をメアリー・ライリーなんぞと変え、そして“女”を主役に。思うに、有名すぎる『ジキルとハイド』はいまさら見まいと勘ぐったか。そうだとすればばかな話で、これが“女”の主役ではガックリ。そのガックリを願ったらしいずうずうしさに腹が立つ。
それで肝心のジキルは、と申すとこれは楽しや、当今腕利き一番のジョン・マルコビッチ。昔からジキルが薬をのんで怖いハイドに変わるこの変わり方を楽しんだのを、今度のスティーブン・フリアーズ監督(イギリス人)は気分がハイドに変わるフロイト式で見せ、マルコビッチは心の変化に苦しんで顔が苦悩困ぱい。だからマスクはそのまま。心の苦しみ、心の善と悪。なるほど名手マルコには、せめてこれがやり甲斐なのであろう。
話は実家で父のむごい仕打ちに苦しんだ女がジキルのもとに仕え、今度はそのジキルの狂気におののく。このジュリア・ロバーツもやり甲斐ありというわけ。だが、いまさらこの名作を今ふうにかっこよくしようとしたのが見当違い。
映画の出だしは両手に握れぬほどのヌラヌラ動くウナギをバサリ切り刻む。その血が流れるところから始まるという、さすが「危険な関係」「スナッパー」のフリアーズ監督、これぞ、と思ったのに、マルコビッチとジュリアその2人のどっちつかずのけったいなジキルとハイド。好きな監督だけに口惜しい。
しかしこれを見て原作を読みたくなったらバンザイ! アメリカ映画1996年作、1時間48分。
(映画評論家)