「世にも憂鬱なハムレットたち」海千山千のケネス・ブラナーの自白劇
この記事は産経新聞96年7月16日の夕刊に掲載されました。
海千山千と申したのは、イギリス映画界にとってこのケネス・ブラナーほど気位高く、彼くらい良心的で常に映画をシャープにハイクラスに仕立て、この間はフランケンシュタインの怪物までをもまことに美術ふうにこなしたこの男が、ここに脚本そして監督したのがすさまじき“舞台裏稽古物”映画。
売れない俳優ジョー(マイケル・マロニー)がクリスマスに教会を借りて「ハムレット」を上演する決心。かくて借金し自分で監督。この芝居の24役をがらくた集めた六人で演じさせ、王妃ガートルードには女形を使い、まさにシェークスピア「真夏の夜の夢」の素人の村芝居リハーサルさながらにハチャメチャ騒ぎの楽屋裏コメディー。とそのように見せかけて、ここに見るケネス・ブラナーの“芝居魂”が実は胸を打つ。
舞台開幕前の20秒、その狂気に近いスリルが盛り上がる。ブラナーが何度も舞台開幕前に経験したそのスリルが、ここではコメディーの化粧をもって笑わせてゆくのだが、見てゆくうちにこの映画、ドキュメンタリーの本物が見えてくる。イギリス映画らしい手法だが、監督がブラナーゆえに“本物”が目に迫り、開幕前のうろたえ。開幕前のあきらめ。開幕前の最後の決意。これらが笑いのオブラートをはがしたならドキュメンタリー映画に近い。歌舞伎も新劇も含めてあらゆる舞台人がこの映画を見るとゾッとするに違いない。
登場者はマイケルに続いてジョン・コリンズ、ジュリア・サワルハ、リチャード・ブレイアーズ、ニック・ファレルと全く未知の連中ぞろい。ケネス・ブラナーは出演していない。知りすぎた顔をすべて避けて、この映画は実景を思わせ、舞台開幕前の地獄を爆笑で演出した。
集めた連中もろくでなし、劇場に使う教会ももはや打ち壊しが近い。すべてがスリル、そのスリルで爆笑させるのだが、舞台人が見ると笑うどころか泣けてくるかもしれぬ。この映画、まさしくクロウト筋映画。原名「冷たい真冬に」。一九九五年イギリス映画。
(映画評論家)