「記憶の扉」
この記事は産経新聞96年09月24日の夕刊に掲載されました。
懐かしいフランス映画と思う人もあろう。あたかもジュリアン・デュヴィヴィエやアンドレ・カイヤットの映画を今に見る思いに浸る人もあろう。
これは1994年作フランス・イタリア合作、「ニュー・シネマ・パラダイス」(八九年)のジュゼッペ・トルナトーレの監督作。あの映写技師を仕事とする映画館のオヂサンと映画好きの子供のおとぎ話のごとき映画。そう言うよりも映画に夢中の大人がわが幼年時代を懐かしむような“映画”にずぶぬれの可愛い可愛い映画。
その監督が今度は何を作ったか。映画のまず最初に銃口を真正面こちらに向けたクローズアップ。これから始まってこの映画は殺人犯の映画かと思うほどゾッとさせてから探偵推理劇さながらにワンカットワンカットびっくりさせてゆく。映画通はトルナトーレのこの“映画遊び”に唇をへの字に曲げて楽しむであろうし、主演者が久しぶりの肉のかたまりさながらのジェラール・ドパルデューとニワトリの骨のごときロマン・ポランスキーの共演。あたかもこの監督この主演2人でこの映画、火と水と氷がぶつかり合ったおもしろさに浸れるであろう。
さてこの映画のストーリーは? これは見るまで一言たりとも申すまい。ゾッとびっくりの映画。もちろん冗談コメディー映画にあらず。ただもうこの映画の“映画そのもの”に舌を巻かれるがよい。神経映画と見るもいい。タルコフスキー・スタイルと見るもよい。
水、これが画面をずぶぬれにする。雨の中を狂った男が走る。最初、銃口が目いっぱいに迫ったこの映画。犯罪劇かと思わせ、映画の楽しさ映画の怖さ、これを唇から血を流すごときタッチで描いてゆく。ポランスキーが出ているゆえであろうか。太ったブタのかたまりのごときドパルデューがこのポランスキーと対決するその演技のすさまじさ。久しぶりに“映画”に酔いたまえ。トルナトーレの“映画マジック”に「あっ、そうだったのか」と飛び上がって驚きたまえ。映画の“銃口”があなたの目前にあるこのファースト・シーンから。そしてこのキャメラの美しさ!
(映画評論家)