「みんな〜やってるか!」ギャグ芸術をちりばめた傑作
この記事は産経新聞95年01月24日の夕刊に掲載されました。
車の中でセックスがしたいと思った男がその車をさがすうちヒコーキの中のセックスは、とかといろいろ考えているうちに、この映画は画面の中のギャグのひとつひとつに笑いころげさす。サイレント時代にサイトウ・トラジローという監督がいて、「熊の八つ切事件」だとか笑いころげさす名作を続々と生んだが、そのあとに続く名人がいなくなった。それがビートたけしによってさらにモダァンに生まれ返った。
これはビートたけしが負傷する直前、すでにできていた映画。この才能が事故でこわれなかったのは映画にとって“天の助け”だった。
私は「あの夏、いちばん静かな海」に彼の素顔を見て詩人と思った。そして、まさしく映画作家だと拍手した。続いて「ソナチネ」を見て、再び映画を呑みこんだ作家と思った。この二作を極めてほめたが、世間はそれほど騒がなかった。ユーモアとナンセンスは「忠臣蔵」の好きな日本人には向かないことを改めて知った。
ところが、サイレントの初期、活動写真と呼んだそのころ、正月とボンには決まって外国映画(アメリカ)の爆笑短編、それは一巻または二巻ものを六作品など並べて上映し、この週間を「ニコニコ大会」と呼んだ。くだんのサイトウのトラさんがこの爆笑を自作に持ちこんで見事な日本映画を見せてくれたものだが、もうギャグは日本映画とは他人となったいま、ここにまさにケンランとびっくりするほどのギャグをつめこんで、ビートたけしが日本映画に爆笑をつめこんだ。テレビのギャグからの思いつきもあろうが、いずれにしてもこの映画、そのギャグのアイデアは“芸術”だった。
ついにこの映画の主人公は透明人間となって女湯をのぞき、さらに男になるというこの最後の巧みなる映画パロディーが、惜しくも1時間50分という最後を飾るにはあまりのギャグに疲れを見せた。昔のニコニコ大会は短編だった。しかしとにかくこのギャグ集は芸術だ。出演者はダンカンとたけしと、そのほか128人とか。
(映画評論家)