「スリーサム」やっぱりこれもまたアメリカ映画
この記事は産経新聞95年03月14日の夕刊に掲載されました。
ここにもアメリカ映画があった。この映画はフランスのトリュフォーの「突然炎のごとく」(1971)にあこがれながらそのセンチメントに落ちることがない。 リリアン・ヘルマン原作「子供の時間」をワイラーが映画化せんとしたが、2人女のレズがひっかかり男一人を加えて「この三人」(36)で完成。よほど口惜しかったかそれから二十五年たって、ついに原作どおり日本では「噂の二人」(62)のタイトルで封切ったが、不幸、これは2人の主役がミスキャストで失敗。
さて今回のアンドリュー・フレミング監督・脚本「スリーサム」(94)アメリカ・一時間33分は、トリュフォーとワイラーにあこがれながら(と思われる)、まさに今日の若い青臭いアメリカ映画。
学校の寄宿。1人の娘アレックス(ララ・フリン・ボイル)が男のような名のため男と間違えられ男部屋に入れられる。そこにはエディ(ジョシュ・チャールズ)というホモがいた。女を好きでないので、女のほうが怒りだした。それでエディの友人ステュアート(スティーブン・ボールドウィン)がエディを女好きにするためエディの目前でアレックスと寝てみせる。やがてホモのエディ自身もアレックスを好くのだが、セックスは駄目。
やがて3人ひとつベッドで寝ているうちにエディも女嫌いでなくなって、2人の男が1人の娘を好きになって映画は終わるのだが、そのときでもエディのアレックスを抱いた手が、そのアレックスを同じく抱いているステュアートの方へ伸びて、2人の男が女を抱きながら女ごしに男2人手を握る。
かかる学校があるやなしやは別として、この3人の生徒が映画専科であることがおかしく、この監督がどうやら映画ファンまるだしのおかしさも面白い。今日のアメリカ映画は、恋よりもセックス、そのセックスもホモが邪魔するアメリカン・リアリズムで、この映画、しんこくのつもりらしいが、監督も3人もいかにも見たところ若々しくて、この映画が全く映画のリハーサルみたい。そこがまた面白い。
(映画評論家)