「マディソン郡の橋」
この記事は産経新聞95年08月15日の夕刊に掲載されました。
ロバート・J・ウォラーのベスト・セラー小説映画化。4日間の田舎のおかみさんの浮気だが、これをやるメリル・ストリープがすばらしい。足、手、腰、目、それぞれが田舎のかみさんになる。
相手はグラフ誌の写真屋で田舎のこの土地のローズマン橋を撮りにくる、これがクリント・イーストウッド。いい演技を見せた。ときにチラとハリー・キャラハンがのぞくが、本人長年の役、仕方あるまい。
メリルとクリント、この2人演技勝負。ところがどちらも久しぶりで本音を出せるという楽しさと意気込みあふれ、同点の出来というよりクリントもメリルもかかる珍しくもうれしい役でこれに溺(おぼ)れ、それが立派に生きた。
4日間のこと。写真屋が古いローズマン橋を撮りにきて、田舎のオバサンに逢(あ)ってその橋に連れていってもらう。これが2人の出逢い。知り合ったその女の名はフランチェスカ、どこかイタリアの血がする。まあお茶でも飲みなせい。これがやがて、めしでも、泊まるといい、亭主も子供もよそにいま行っとるんじゃというわけでこの2人、できてしまう。相手も妻があったが別れてしまった。
ここらあたり都合のいい小説だが、この2人を演じる2人が見事名演で見とれさせ、この母の浮気を20年たって今は亡き母の手紙からそれを息子と娘、これもすっかり大人になった2人が読んで知るところから始まるのも巧(うま)い。
しかし映画は見せるのだ。久しぶりの目にしみる2人の演技。女の亭主もチラと出たが、なんにも気にせぬ平凡善良亭主のこのわき役も悪くない。クリントは「許されざる者」でも監督主演、そのずっと前にも監督主演していたが、どちらもきばっていた。こんどは名人芸だ。サラッと見せてじっとり感じさせた。監督としてもこれは第一級だ。
近ごろ映画はかかる、しっとりした、落ち着いた映画を失っている。これは春の日のやさしいタンポポの花だ。すぐに風に散ってゆくだろう。舞台人が見ると、これを舞台でやりたがるだろう。
(映画評論家)