太陽に灼かれて
この記事は産経新聞95年06月20日の夕刊に掲載されました。
一本の電話。これを聞いたドミトリ(オレグ・メーシコフ)は自殺。しかしロシア式けん銃は一発では発射しなかった。電話は命令だ。人を殺してこいという命令。ドミトリはセルゲイ・コトフ(ニキータ・ミハルコフ)の家を訪れる。家じゅうが喜ぶ。
ドミトリは10年まえコトフの妻と恋愛して、この娘の一族とはすでによく知り合った仲。それをコトフが、この屋敷の富豪の娘マルーシャ(インゲボルガ・ダプコウナイテ)を横どりし、今は八歳の娘ナージャ(ナージャ・ミハルコフ)がいる。一家はドミトリを心からもてなしたが、コトフは何かを覚悟した。スターリンに忠実だったコトフを、恐怖にとりつかれたスターリンが彼を狂犬と怖がり抹殺命令。
映画は春の日のコトフ一家のお茶の時間を、あたかもフランスのルノワール映画を思わせるやわらかさで見せ、若き日のドミトリがマルーシャと川遊びにたわむれたそのシーンの美しさ。ロシア映画というよりもフランス映画だ。
思うにこのミハルコフ監督の「黒い瞳」(87)にしても、もっと古い「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」(77)にしても、その映画の画面の流れる物語り方が小説の名文を読むごとき巧みのうえ、運命という人間のさだめがジュリアン・デュヴィヴィエの映画をも思わせる描き方。いわゆるロシア映画の強くきびしい灰色の描き方ではない。
とくにコトフがドミトリの黒い車に迎えられて死を覚悟するラストの描写はすごい。この監督の実の娘ナージャのかわいい笑顔がパパの車が出てゆくのを見送り、ニコリ楽しげな瞬間も悲しい。
このあと「死」は二重にかさなるが、ミハルコフの演出は死の影をかくして運命の悲しさの奥に暖かさを感じさす。ニキータ・ミハルコフ監督の、これはまぎれもなき名作だ。
1994年カラー、ロシア・フランス合作。2時間16分。
ドミトリを演じたオレグは舞台俳優。近く戯曲「ニジンスキー」を執筆、自らの演出、主演が予定されている。
(映画評論家)