「リスボン物語」ヴェンダース監督の謝罪映画
この記事は産経新聞95年08月01日の夕刊に掲載されました。
性懲りもなくまたヴィム・ヴェンダース(50歳)のことしの新作「リスボン物語」(1時間44分・カラー・ドイツ映画・ポルトガル合作)がやってきた。
この監督は「パリ、テキサス」(84)、「ベルリン・天使の詩」(87)、もっと前の「アメリカの友人」(77)のころは新鮮なリンゴをナイフで2つに割って、その香りをかいだような心地よさがあったが、やがて「都市とモードのビデオノート」(八九)、「夢の涯てまでも」(91)で私は絶縁した。この2本の映画に私は3日間寝込んでしまった。見た日は靴も脱がないでベッドにぶっ倒れた。
だからこんどはすごく用心した。そして見た。
話はドイツの録音マンに親友の映画監督からS・O・Sのハガキが来てリスボンに来てくれと。行った。訪ねた。見ると部屋にサイレント時代の手回しキャメラ、それは1910年型の木製パルヴォ型。編集室に未完のフィルム。この友人を訪ねた録音マンは片足が悪く、足先を布で包んでいる。留守中の友人の部屋に残されたフィルムの中には、電車が走り列車が駅に着くごとき活動写真初期のような場面のフィルム。
もうこれ以上書く必要はあるまい。ひねくれ者の映画をあらん限り理屈をこね回した作り方におぼれていたこの監督が、ここに改めて活動写真からの映画のオリジナルに目を向けて「足」で撮り、「音」も歩き回って録音する、という映画の原始を今さらにここに告白する、これはヴィム・ヴェンダースの世間への改心告白悔(ざんげ)謝罪映画。映画の始まりにフェリーニ監督に心のうちで頭を下げたり、また映画の中にあの「アブラハム渓谷」の86歳の監督のマノエル・デ・オリヴェイラ本人を出したり、この監督としてはまったく珍しく観客にごきげんをとっていてそこが面白い。
主演は「夢の涯てまでも」のリュディガー・フォーグラー。映画の最後、再びフェリーニへの賛辞の呼びかけ“チャオ”でしめる。これぞ映画誕生百年を見つめてのこの監督の謝罪映画。
(映画評論家)