「チャタレイ夫人の恋人」
この記事は産経新聞95年10月17日の夕刊に掲載されました。
あらゆる人が読んだ本。D・H・ロレンスのわいせつ小説。これをケン・ラッセルが監督した。この監督、「サロメ」もあれば「マーラー」もあると思うと、「ボーイフレンド」もある。菊やユリがあるかと思うと黒バラもある。マジック的監督。この監督の「マーラー」(74)を見てコテンパンに頭にきた人もあろう。
この監督が今度は学校の先生となった。それもやさしい先生となったのが今度の映画。
この小説、これまで2度映画になった。カットだらけで封切られた。それゆえか今回はやさしく美しく悲しく映画化された。日本で1950年にこの小説が翻訳されたとき、「わいせつ」か「芸術」かで裁判になった。アホらしい。
伯爵夫人のチャタレイ(ジョエリー・リチャードソン)が大邸宅の森の庭番(ショーン・ビーン)と通じてしまう。伯爵はしも半身ダメ。そこでチャタレイ夫人、肉体美の庭番と通じた。それからどうなる。それはごらんに任せる。
これがスキャンダルで問題となったというのが、今見て面白い。こんなのスキャンダルなんて、夫人がかわいそう。それよりもこの映画、2人の男がどちらも実にハンサム。「風と共に去りぬ」で言えば、伯爵はアシュレイ、庭番はバトラー。どちらも「男」の悲しさ強さをあふれさせた。
伯爵夫人が庭番にまいっちまうそのシーン。ここで2人が全裸でもつれる。これをケン・ラッセルは美術画の美しさにした。
とにかく、男ふたりが哀れ。女も哀れ。ラスト・シーンで涙をこぼさせるであろうこの演出、見事。しかもあのケン・ラッセル監督のこの「わかりいい」作り方。ロレンスなんて読むヒマなき人はこれを見るといい。
チャタレイ夫人を演じる女優は、あの名監督のトニー・リチャードソンの実の娘。美しい。ところがこの映画の伯爵も「美男子」、庭番も「美男子」、ここが実はこの監督の狙いだ。伯爵が見苦しければ、この映画は三文映画となろう。
イギリス映画、一時間五十五分。カラー。
(映画評論家)