「エド・ウッド」
この記事は産経新聞95年07月11日の夕刊に掲載されました。
まさに近ごろの傑作である。生涯一作も当たらぬという監督と彼が主役に選んだ二流スタアのベラ・ルゴシのスケッチ。映画のすべてが二流ムード。1994年の新品映画がモノクロで1950年代の二流スタイル画面で統一という念の入った面白さ。しかし映画は二流どころか、「シザーハンズ」「ギルバート・グレイプ」のジョニー・デップを主演に「シザーハンズ」のティム・バートン監督。
しかしこの伝記映画の主人公エド・ウッドなる監督全く覚えなく、しかもこの監督の映画化趣味たるや女装の男性あるいは性転換の男の映画というのでどこの会社も相手にせぬ。それで落ちこぼれてしまう。ところがレストランであこがれのオーソン・ウェルズ(ヴィンセント・ドノフリオ。これが見事なそっくりさんで爆笑)にばったり逢って、“頑張れ”の一言で張り切り、目下落ちこぼれの怪奇スタアのベラ・ルゴシ(マーティン・ランドー。これがまたそっくりで演技も見事で、これでアカデミー助演賞をとる)を持ち上げ新作をとってカムバックを狙う。
ところでこのベラ・ルゴシも実在スタア。吸血鬼役者で名を売るが、フランケンシュタインの怪物にふんするボリス・カーロフと比べると二流と言わざるを得ぬ。この映画、見ているともしもベラが生きていると心配と思ったが、1956年73歳ですでに亡くなっていた。
けれどこの映画、映画の中で誇りをもって監督その他を見下ろしている誇り高きベラに、「サンセット大通り」のスワンソンふんするノーマ・デスモンドをしのび、この映画の作者の映画ファンぶり、この1950年代のハリウッドへのノスタルジィぶりにほれぼれしてしまう。
私もちょうどこのころハリウッドに2年いたが、そのあいだでも有名俳優の女装、それに有名監督の占い師通い。さらにホテルの私の部屋にまで中年のシナリオ・ライター志望の野心家が入り込んで、ハリウッドの顔役に紹介してくれと抱きつかれびっくりした。
このハリウッドの生涯一作も当たらなかったエド・ウッド監督の伝記、そしてベラ・ルゴシの登場。これをいま見つめていると、ビリー・ワイルダーとはまた別の狂的な映画ファンが思い切って作ったこの個人趣味作品を、ハリウッド、あの営利主義のハリウッドがよくも作ったことと、ハリウッドいまだ死せずと安心もした。
(映画評論家)