「クルックリン」スパイク・リー監督描く"われらの町"
この記事は産経新聞95年04月04日の夕刊に掲載されました。
「クルックリン」は、「マルコムX」のスパイク・リー監督作品(94)というので黒人怒りの激情映画と思ったところ、これはソーントン・ワイルダーの「われらの町」のごとき町のスケッチ。オール黒人映画だが、どこも同じ、これが見ていて胸をふくらませた。クルックリンとは黒人の小さな子供がブルックリンをそう発声するからだった。ニューヨークのブルックリンは映画で見る限り都会の下町の古い町。少し気っぷが荒っぽく、そのくせ人情が深い、それに学問とは縁のない町という感じ。
エリア・カザン監督の「ブルックリン横丁」(45)はここの人情ばなし。その映画の原名は「ブルックリンだって緑の木は育つ」、すなわちこんな町からでも学者は出ているんだ、という意味。
それでスパイク・リー監督のこの作品もこんな町の黒人だって立派に生きているというメッセージ映画かと思ったのに、この映画は台湾の監督のホウ・シャオシェンの「冬冬の夏休み」(八四)や、日本の古き清水宏の少年映画を思い出させるような、人生の若草に春の風が当たるような“人生の若き日の懐かしい思い出”がつづられていて、黒人も白人もブルックリンも浅草も、どこもかもおんなじなんだと思わせる映画なのだった。
もちろん父の家出、母の厳しいしつけ、嫌な叔母さん。いろいろとこの5人の(4人の男の子と1人の女の子の)この一家の子供たちの毎日が描かれてゆくのだが、これを五人のうちのただ一人の10歳の女の子(ゼルダ・ハリス)が語ってゆく人生スケッチで、物語それ自身よりもこの子供たちの遊びが“石けり”“べいゴマ”“なわとび”“シャボンダマ”“キャッチボール”“テレビ”と日本とおんなじ。人間みんな同じ、人間みんな楽しい、人間みんな泣く日もあるよ、という映画。お葬式もありますよ。
時は1970年。そのころの懐かしい黒人音楽も出てくるし、これを見てただもう懐かしい少年少女時代をもう一度胸に呼び戻し温めるがいい。やっぱりこれはスパイク・リー監督のヒューマン・スケッチ。ほのぼのと楽しみがほおをなでるよ。アメリカ映画、1時間54分。
(映画評論家)