「コールド・フィーバー」
この記事は産経新聞95年10月03日の夕刊に掲載されました。
ほとんど知らぬ人が多かろう「春にして君を想う」のフリドリック・トール・フリドリクソン監督の1995年アイスランド・アメリカ映画、1時間26分。
日本人のサラリーマン(永瀬正敏)が、アイスランドで死んだ両親の弔いにその地を地図でさがしひとりで出かける話。この若い男は、休暇をとってハワイにゆくつもりが祖父の説得でアイスランドへ。この主役青年はジャームッシュ監督「ミステリー・トレイン」に出ており、こんどは41歳のアイスランドのドキュメンタリー上がりの監督の手でわざわざ現地に。脚本も監督も同人。見る前は用心をした。気取りと野心ではちきれたものかと。
ところが脚本、キャメラ、そしてドキュメンタリー映画上がりのその腕が、この映画を「冬」の「氷」の「死」と「生」の詩に染めた。たったひとりでアイスランドへ、これだけでこの映画をばかにしかけたところ、そこが狙い。見ていてこの主役とともに、生まれて初めての雪と風と平原と村と教会とタクシーと泥棒夫婦のアメリカ人と、あれこれと事件や風物にキョロキョロとぶつかり、幽霊までをも見るというこの映画に、それらの怖さ珍しさがこの日本人青年の両親への弔いの激しい愛を次第に思わせる。シュールなスタイルで見せながら、この映画、このところ流行のロードムーヴィーの形をとって、こんな土地、こんな川、こんな老人が、というふうに画面に見る者を引きこんでゆく。
ついに、という感覚で両親の死地、それは雪の平原を割って流れる瀬の速い川のほとり。彼はそこに日本酒を流し、雪を固めてロウソク台にロウソクと線香をのせて流す。遠くそれを橋の向こうから見つめるこの白雪の地のひとりの老人、「センコウ」と日本語で教えられたそれを見つめるアイスランドじいさん。雪と風と平原、そこに住む人と東京から来た若者と。
映画の始まりに銀座、新宿をキャメラでとらえ、やがて“こんなとこ”と思わせるアイスランドへ。近ごろ画面から目の離せぬ「目」と「心」の映画だ。
(映画評論家)