「クローズ・アップ」男の"こころ"、その愛に思わず脱帽
この記事は産経新聞95年08月08日の夕刊に掲載されました。
イラン映画のアッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」(87)「そして人生はつづく」(92)の間に作った1990年作。カラー。90分。
私は昨年のベスト・ワンに、この監督の「オリーブの林をぬけて」(94)を挙げた。ハートウォーミングと称する心に迫る愛の映画、それとはちがう。ハートウォーミングが全身にずぶぬれに生きているのがこの監督の作品だ。もう正直、手加減なしの善意。映画がそれをそう語るのではなく、この監督自身の善意がフィルムの全身に染み込んだ作品。
そして実に男が好きな監督。その男とはまっ正直。それに不器用。けれど「愛」で固まっている男。世の中でこれほど純粋なものはない。この監督はいつもこれを追い、私はそれにいつも涙をあふれさせてしまう。
今度は映画好きの男が思わず好きな監督になりすまして、映画好きの家庭に収まりこみ、これがもとで裁判沙汰になる。ところがここにその本物の監督がこの裁判に出てきたりしてややこしくなってゆくのだが、このあたりからこの映画は「オリーブの林をぬけて」同様に、いつしかこの映画を撮影している本物の撮影と重なって、見ている私たちをまごつかせ楽しませあきれさせ、その撮影ぶりの巧みさに舌をまく。その撮影中と本当の撮影との画面でのダブル・プレイが映画ファンにはあきれる面白さであろう。
実はしかし、それ以上に「愛」が胸をしめる。今度もニセモノの監督を、その自分を名乗ったニセモノを本物の監督がいとしく思って、思わずこのニセモノの味方をする。このような映画脚本の面白みはこれまでにも何度か試みられたが、このニセモノを見つめるホンモノ、この愛には思わず笑いながら涙をこぼした。
俳優はまったく知らぬ連中ながら、その男たちの“しゃべり”がまるで野暮(やぼ)、その野暮さを画面の中に引っ張り出すこの監督の巧み。そしてその野暮さが本物の映画好きの中年男のおかしな無邪気純粋の体質を画面いっぱいあふれさせるこの監督の巧みに私は脱帽した。
(映画評論家)