「夏の庭 The Friends」
この記事は産経新聞94年03月29日の夕刊に掲載されました。
これは相米慎二監督の作品で、私はかねてからこの監督の顔が好きだった。監督の顔というものは、映画にそのままその顔を見せるものである。それで、私はフランスのルノワール監督の顔や、また丸っきり反対のこきびしいジョン・ヒューストンの顔が好きだった。
それでこのソウマイという人の「夏の庭」を見に。原作はかわいいお話で、子供たちが不思議な家の草ぼうぼうの庭をのぞいて、あの家の人は老人で、庭も家もほったらかしみたい、いったいどんなジイさんがいるんだろう、と、元気なやさしい子供たち、サッカーをするというから小学生でも上級の男の子たちであろう、この子供たちが不思議な家のおじいさんらしい人の庭の草を抜き取って、お庭をきれいにしてやるお話。気持ちのいいストーリー。題名の「夏の庭」というのにも、その子たちの元気さ、健康のにおいを感じさせる。
ところが、その寝たっきりみたいなこの家のたった独りきりのじいさんが三国連太郎さんだからちょっとおかしくなってしまった。よぼよぼなジジイじゃなかった。スターバリューでこの名優を一枚看板に置いたのであろうが、よぼよぼじゃない。オイ、サケカッテコイなどと言いそう。しかし、映画はどんどん子供たちに草を、それも大きく伸びた草を刈り取らせて、見違える庭にした。老人は喜んだ。いいストーリーだ。
けれど、この子たちの会話というか、子供らしいおしゃべりが困った。これじゃ児童劇。そしてまた、庭が、すっかりきれいになったその庭が、いつの間にか見るも鮮やかなピンク色に近い赤い土で地面を埋めたので、この子たち、いつあんな土をどこから運んだかと首をかしげた。
さて文句をいっぱい申したが、近ごろの気持ちいい映画。けれどこの監督さん、どっかおかしいよ。あの子たちの児童劇めいたおしゃべりと三国さんの老いぼれジジイ。おかしいよ。やっぱりこの映画に正直に、このやさしいソウマイという監督の顔が画面外からのぞいていて、そうコセコセと見なさんなと言っているみたい。ヘラルド・エース配給、1994年作。カラー。
(映画評論家)