「さらば・わが愛〜覇王別姫〜」
この記事は産経新聞94年02月01日の夕刊に掲載されました。
一度でも京劇を見た人はこの2時間52分は目にしみこむであろう。京劇つうはこの映画に京劇読本を楽しむに違いなく、一般の映画観客はこの華麗なるメロドラマに飽きるを知らぬであろう。いうならば中国の溝口健二映画ともいえよう。
幼時から京劇の土台をしこまれ、やがてスタアとなった女形と男優が運命の渦のなかで悲劇の終幕を下ろす。1925年から77年のこの間に京劇が戦雲のなかでいかに舞台を続けたか、しかもそのスタアの女形と男優スタアが恋に落ちる同性愛。ストーリーはけんらんと虹色に広がり、“歴史”が京劇が戦争のなかで語られてゆく。しかしこの“事実”が私にはいささか邪魔にもなった。むしろ女形とたて役の同性愛、それと京劇の舞台、音楽、舞踊、歌唱、これらを専門に楽しみたかった。しかし広く一般には悲恋、しかも同性愛、この脚本を用意せぬわけには行くまい。
監督が「黄色い大地」(84年)「人生は琴の弦のように」(91年)の陳凱歌(チェン・カイコウ)42歳。いかにして中国がかかる見事本格にメロドラマを、芸術作品の大作を感じさす重厚をもって製作し演出できるのか、その映画エネルギーはただごとでない。イタリアのベルトルッチ監督の「ラスト・エンペラー」に迫り、イギリスのバレエ大作「赤い靴」に近い。音楽の出し方、舞台シーンの挟み方も巧(うま)い。1993年カンヌのグランプリは当然である。世界でもまれに見る大作。いささかもほめすぎでない。日本は恥ずべきである。
この京劇の足跡を見せたこの作品に、日本の歌舞伎の楽屋とは全く違って、孤児貧者の幼児が京劇の厳しき訓練、やがて華やかな京劇の舞台に光る花となるを知る。女形(張國榮=レスリー・チャン)、男役の主役(張豐毅)に加え撮影(師長衛)が美しい。原作は小説、脚色2名、プロデューサー4名。この香港映画には黄金の花輪を贈りたい。
原題「覇王別姫(はおうべっき)」。日本題名「さらば、わが愛」これではスマートすぎて中国の華麗さがない。
(映画評論家)