「日の名残り」
この記事は産経新聞94年03月22日の夕刊に掲載されました。
「ピアノ・レッスン」が女の映画なら、この「日の名残り」(1993)は男の映画。イギリスの大邸宅の執事の物語。執事はイギリスの名産とさえ言える大邸宅の男の召し使いのこと。ときには祖父、父、子と3代にわたって仕えることもある。
映画は1930年代から1950年ごろまでを描く。監督がジェームズ・アイボリー。この監督には「眺めのいい部屋」「モーリス」「ハワーズ・エンド」があり、どれもイギリス上流家庭を描く。本人はアメリカ人だが、アメリカ人だけにイギリスにあこがれたか、イギリスのハイ・ソサエティーが目につくのか、今度の作品も大邸宅の執事がその執事気質を示す。
執事たるものは“わたくしごと”をつつしむ。この屋敷に美人の女中がしらが来て、いつしかどちらもが強く愛し合ったが、執事はこの恋を失ってしまう。というのも、愛していることすら控えた、つまりはっきりと好きと言えない男。女はすすり泣き、彼もひそかに酒蔵から酒を一本持ち出した。
この恋を逃し、女はあきらめて他の男と結婚する。彼女を愛していた執事は、休暇で来た海近い小さなレストランで彼女の口から結婚と生活のことを聞き、安心してよかったというふうになる。このときのレストランで流れるブルー・ムーンのメロディーが胸を打つ。
結局、雨の中で彼女をバスに送ってこの映画は終わるのだが、今年一番の出来である。執事をアンソニー・ホプキンズ、美しい女中をエマ・トンプソン、この2人が見事にうまい。原作は日本人カズオ・イシグロだが、イギリスにすでに帰化している。
これはただ執事の映画ではなく、男と女の映画。もの言えぬ男、愛するなどひとことも言えぬ男。女はそのひとことを待ち続けているのに。この映画、今年のベスト・ワンになるかもしれない。ふと、成瀬巳喜男の映画をしのばせもした。静かに、実に静かに、恋の悲しさを残酷に見せた名作である。
(映画評論家)