「木と市長と文化会館 または七つの偶然」
この記事は産経新聞94年05月17日の夕刊に掲載されました。
ルノワールとクレールを思い出す間違いなきフランス映画。ものものしい題名も、映画を見終わると幼児の絵本の題名を思うほど、これは可愛い映画。政治と文化教育を説きながら、ここにあるやわらかさはどうだ。フランスはコブシを振って演説などせぬ。
監督が「海辺のポーリーヌ」(1983)のエリック・ロメール。脚本もロメールの1992年フランス映画のカラー。1時間51分。このロメール、ことし74歳。このさわやかさ、この若さに見とれてしまう。
話は、もしもあの時ああなら、そのもしもの7つが語られてゆくが、映画はそれをメロディーのひとつひとつのように流してゆく。
田舎の市長が名を高めるため、広い土地を利用して文化会館を建てようと計画。ところがそこに百年の樹齢の柳が一本、これを愛した小学校の先生が悲鳴をあげて反対。そんなことで、と市長は相手せぬ。
ところがその学校の幼女のひとりが、それよりここに公園を造ってとびっくりすることを言い出す。みどりの広い土地に何が公園かとしかるが、幼女はたじろかない。公園を造るとみんな集まり、みんな話し合うが、文化会館など建てると村の人は怖がっていかなくなってしまうし、畑仕事で忙しい村の人は話し合うこともなくなり、村はお友達をつくらなくなる。ここで大人たち、特に市長が考えこむ。
映画はせりふの洪水だが、そのせりふ、その表情、その笑顔。相手の反対を受けてもだれもが笑顔で答えるこのフランスのこの“村ものがたり”にほれぼれするばかりか、映画の風格、俳優のせりふエロキューション(せりふまわし)、それにこの童話を思わせる演出、それなのにフランスここにありのフランスが薫る。
フランスは死んではいない。アメリカの何とかリストの作りとえらい違い。美術であり、このロメール・タッチこそ芸術だ。
市長(パスカル・グレゴリー)、教師(ファブリス・ルキーニ)、市長の娘と教師の娘が偶然で仲良しになるこの二人の幼女もうまい。とにかくフランスは映画を持っている。 (映画評論家)