「わかれ路」ハラハラするもよし、泣くもよし
この記事は産経新聞94年05月10日の夕刊に掲載されました。
原題「インターセクション(交差)」。1994年ピカピカのパラマウント新作。
監督マーク・ライデル。この監督が映画ファン第一の吸引力。あの「シンデレラ・リバティー」の監督。そして「大いなる勇者」「スケアクロウ」のプロデューサー。この映画、悪かろうわけがない。しかも主演が「八月の狂詩曲」のおとなしい品のいい少しショボくれたリチャード・ギア。
相手役が2人。一人は妖艶シャロン・ストーン。彼女の「硝子の塔」「氷の微笑」、このいやらしい曲線美を押しつける映画を思いだす。もう一人、これはあまり知られてはいまい、ロリータ・ダビドビッチ。「JFK」で犯人の妻を演じていた。はっきり申せば、あまり美人じゃない。この映画ではできる限り彼女はブスに見せて共演している。
さて、ギアは美人の妻と十三歳の娘があるのに、ロリータに走った。その後、娘からママに男のお友達が遊びにくると言われる。この固い建築家は別の女に走った。この映画、どうなるとハラハラするもよし、笑って見るも構わない。両方どちらの見方もこの映画を楽します。
この映画を見て、シャロン・ストーンを捨ててあんな女にギアが走るなんてアッホらしいと思う人は、この映画を楽しめまい。あんな「女」でもあんな「男」をモノにする。あんな「美女」でもあんな「男」に捨てられる。恋とはかくも希望が持てるとマジに涙でごらんになろうが構わない。
原作はフランス映画から拾ってきたというが、とにかくクロウトもシロウトも喜ばせる脚本であり、プロデューサーと監督の立場にすると、これでこそ当たると計算ずみだ。
だから、マジのそのまたマジの映画通は、この映画のキャメラとこの映画のフィルム編集を見るがよい。このキャメラのヴィルモス・ジグモンドには「未知との遭遇」があり、このフィルム編集のマーク・ワーナーには「ドライビング・ミス・デイジー」がある。映画はキャメラと編集の仕上がりで生き死にする。映画が呼吸するのはこの2人の手腕からである。
(映画評論家)