「ゴダールの決別」この映像詩におぼれる
この記事は産経新聞94年07月05日の夕刊に掲載されました。
光のガラスの森(ゴダール)と泥で固まった巨岩(ジェラール・ドパルデュー)の協力が第一の魅力。次はゴダール宗教にぬかずく信徒には永遠のゴダール宝石。
ギリシャ神話がもとだという。神が人妻を犯す。妻の夫(ドパルデュー)に化けた神。妻はその夫に愛を燃やす。というごときストーリーを追うとアタマが痛くなる。ワン・シーン、ワン・カットに、あらざる意味を己で作る楽しさにふけるがよい。
この監督の映画は“光”と“影”と“色彩”を持って胸を刺す。これを彼は映画の光の花火として打ち上げる。かくてそこに散り落ちる花火の散り花に詩の文字をつづる。
このゴダールは第一作「勝手にしやがれ」(1959)で映画文法を破壊した。これが映画ファンを熱狂させた。彼29歳の時の作品だった。
その後、「軽蔑」(63)「気狂いピエロ」(65)と鮮やかな名作を生みつづけ、次第に感覚のみに走り、映画の“言葉”をキャメラにゆだねた。彼の映画の美しさは撮影(今回はカロリーヌ・シャンプティエ)で輝き、それゆえこの映画の舞台のスイスの湖水、その自然美景ではなく、そこに泳ぐ人妻(ロランス・マスリア)と彼女の夫(ドパルデュー)の鼻と肩と背中、そういう映像が目から恐らく離れなく、いろいろと人物は登場し、字幕には意味不明の呪文のごとき文字が次々と現れ、そのため一層ゴダール映画の映画マジックにとらわれてゆくだろう。
神と人間とその夫婦、この三角関係という異様なストーリーを、古く「アンフィトリオン」というギリシャ神話からゴダールが取り上げているが、そのストーリーをまともに描く映画詩人ではない。両手で水を汲んでは指の間からその水がもれ落ちるのを繰り返すごとき手法を用い、神と人間、あたかも宇宙的ゴダール映画といった濃厚なゴダール趣味映画に作り上げている。
共演者はベルナール・ヴェルレイ、オード・アミオその他。1993年作、カラー、1時間24分。フランス・スイス映画。
(映画評論家)