「ブロンクス物語」デ・ニーロの第1回監督作
この記事は産経新聞94年08月02日の夕刊に掲載されました。
ニューヨークのマンハッタンのイースト・リヴァー対岸にブルックリン、ブロンクス、クィーンズがある。ブルックリンは江戸っ子、浅草っ子、ブロンクスは働き者の移民の多い町、クィーンズはお上品ぶった旧都市、かように分けた中で、これはブロンクスの親と子の物語。
だいたいロバート・デ・ニーロはおびただしい映画に出て巧い役者だが、近ごろオーヴァー・アクトになってきた。この男の監督作品というので、少しは我慢かと思ったところ、これが立派、その趣味がいい。自分は控えめで、チャズ・パルミンテリを本主役に立てた。
話はこう。ブロンクスのバスの運転手(デ・ニーロ)には9歳くらいの可愛い坊や(フランシス・キュプラ)がいた。1960年というころだ。
ところが、このブロンクスの下町、やくざが多い。親が心配しているのに、坊やはやくざの集まる地下のばくち場をのぞく。親方が坊やにサイコロをお遊びに振らすと、見事大当たり。この坊や、この親方になつく。ところが、この親方、喧嘩で相手を殺した。見たのは、その現場にいた坊や。警察が彼を吐かそうとしたが、この子は知らぬと言いきった。
この実の父と、このやくざの父、この2人に可愛がられて青春を迎え、黒人の彼女が出来るまでの人情講談。デ・ニーロ一切いきぶらず気取らず、しんみりと演出してみせた。浅草で聞く人情ばなしだ。それも道理、実はこの親方を演じているチャズの舞台劇、それもひとり芝居の「ブロンクス・テイル」、これにデ・ニーロが惚れ込んだ映画化。
この映画の坊やをやるフランシスもブロンクス生まれ、主役のチャズもブロンクス生まれ、監督・出演のデ・ニーロ、これもイタリア移民の子のニューヨーク育ち。要するにこの映画、いま忘れかけた古い人情が画面ににじみ、これをブロンクスなまりで聞くわけだ。
しかもこの映画のここがイタリア移民地区。こうなると映画、ここにイタリアン・リアリズムならぬ、このブロンクス・リアリズムをちらと嗅がし、デ・ニーロさんよでかしたよな とほめたい秀作。
(映画評論家)