「ライジング・サン」ヒット狙いでゆがんだ日本人像
この記事は産経新聞93年10月19日の夕刊に掲載されました。
面白い映画が飛び出したものである。映画はたとえドラマであったとしても今日の感触を持っていることで面白い。いわばニュースの何かがこもる。だから映画は必ずその製作年度を知って見る必要がある。
この映画は1993年度のアメリカ映画でショーン・コネリーが主役というような役をやり、原作と共同脚色は「ジュラシック・パーク」のマイケル・クライトンである。監督はこの映画の脚色にも手を加えているフィリップ・カウフマンで、この監督は今日より五年前に「存在の耐えられない軽さ」、3年前には「ヘンリー&ジューン」を監督している。
この映画を見ているとアメリカ人は拍手をもって喜ぶか、照れ臭がるかであろうし、日本人は開いた口がふさがらなくなるに違いない。おおげさに描いているのはアメリカ人が喜ぶと思ったからというよりも、ヒット間違いなしとにらんだからであろう。経済圧迫に近い日本の進出でアメリカは日本を憎んでいるがゆえに、かかる映画を作ればさぞや胸がすくであろうというねらいが見え見えで下品となった。
今を去る1917年ごろアメリカが早川雪洲主演で作った「火の海」には、出演の日本人がすべてキモノで靴を履いており、今から七十六年も前はそれをおかしがったが、今は日本人の商社マンがフンドシをしていたり、握手より日本人は挨拶に三度重ねておじぎするとか、ヤクザめいた商社マンが女の腹の上にサシミをのせてそれをつまんで食っているというようなシーンを見ると吹き出すのだが、油ぎった日本人、無口な日本人、とにかくイヤーな日本人、そのかつての古い日本人への印象を、実はこのように今も持って、それを見せて興行価値のプラスにしようとする映画を、一度は見ておく必要がある。
大太鼓の鳴り響くところから始まるこの映画、ハーベイ・カイテルが共演しているが、俳優よりもこれは日本人もぜひ“見るべし”の珍品である。
(映画評論家)