「戯夢人生」
この記事は産経新聞93年12月07日の夕刊に掲載されました。
台湾映画のホウ・シャオシエン(侯孝賢)の「冬冬(トントン)の夏休み」「恋恋風塵」「悲情城市」につづく監督作品。この監督がようやくにしてわかってくる野心大作だ。「冬冬の夏休み」は現代台湾の夏休み。日本の大正時代の少年の夏休みを思わせて、その詩情はゆたか。つづく「恋恋風塵」は少年が青年に移り彼女も出来てロマンスの花咲くところで赤紙がまいこみ兵隊となる。「悲情城市」は戦争と台湾とその代表的一家族の戦争の黒い影にあえぎゆらぐ台湾の悲劇。そしてここに「戯夢人生」(1993年)をもってホウ・シャオシエンは日本植民地時代の台湾をこの目に見せ見る者の心に台湾を教え知らしめた。
ベンパツの長い髪の中国スタイルを切り台湾は日本の国となった。日本人として戦争にもかり出された。「戯夢人生」は面白く楽しく見せながらその台湾の悲しみをうったえる。かかる怒りの映画はえてしてテーブル叩(たた)き怒りを画面にあふらせかねぬが、この映画は八十四歳の老いたる手指人形使いのひとり語りから画面をすすめ、その画面はこの監督らしく野天のテント張りでの人形一座風景を見せ、その風景の美しさ、あるいはこの監督の好きな大樹の枝とみどりの絵のごとき風景の中に台湾を描く。
人形を操る老人が実にうまい。そしてその語りぐちが第一級芸人だ。ときに日本語が出る。これも監督の狙い。映画はみどり深い美しい風景そのなかで台湾人の日本兵戦士のささやかな葬礼を見せ、また町の女が楽しげに笑っているところで日本流行歌「忘れちゃいやよ」の歌詞とメロディーを流す。日本人にとっては胸にトゲ刺すところだが、この監督は画面には詩情あふれる日本支配下の台湾をたんたんと描く。その描き方に大家の風情を早くも感じさせ、ホウ・シャオシエンのこの「戯夢人生」はまさしく彼の真顔を見せた傑作だった。
これまでの彼の作品にはどこか童顔がかわいかったが、今回はまさしく立派にも大人のプロフィルを見せた。
(映画評論家)