「から騒ぎ」名台詞あふれる男の映画
この記事は産経新聞93年12月28日の夕刊に掲載されました。
ただ見事。あっけにとられるばかり。これを当年33歳の若造ケネス・ブラナーが製作・主演・脚色・監督していることでびっくりだ。見ると西部劇だ。男の映画だ。これほど男がほれぼれとあっぱれな映画も珍しい。馬のいななき、馬のひづめ、それが画面からあふれ、そのカッコよさ。ところがこの映画、いくたびか見て涙をもよおした名作のバレエにも見えた。「ジゼル」を「白鳥の湖」をさえ思わせた。すべてブラナーの誇るべき演出の巧み。
シェークスピアは映画にどれくらい登場したことか。“そなたの父上がそなたの父上でなかりせば、いかに幸せか”、この「ロミオとジュリエット」の場面、あのバルコニーの場面はもう知らぬ人とてあるまい。“生きるべきか死ぬべきか、今は、それが問題じゃ”、この「ハムレット」の台詞(せりふ)も知らぬ人とてあるまい。シェークスピアは台詞で歌う。活劇はバレエに変じ、オペラと化して登場の俳優はその美しさにあふらせる。
この「から騒ぎ」(93年)、仲を裂かれた恋の男女2人が再びめでたく結ばれるまでの、あいも変わらぬシェークスピア・ドラマなるにかかわらず、この芝居を知り尽くした人ならば、このワンシーンの俳優の台詞にひざをたたくであろう。面白く楽しく、しかも品格あふらせ、この品格がこの映画を、演劇の映画の芝居の「詩」として練り上げてゆく。
何度も映画になったが見た記憶なし。かつてはかかるシェークスピアものは興行として敬遠されたのだ。それが今ここに製作年度と同時に日本封切の、今の豊かさを感謝する。
私生活でブラナー夫人のエマ・トンプソン、「マルコムX」のデンゼル・ワシントン、キアヌ・リーブスその他の登場者のすべてがベストの演技力を見せる。この貴重なる映画美術名作を見失うなかれ。と同時に今さらにシェークスピアを貪欲(どんよく)にむさぼりたまえ。もちろん全編カラーの1時間52分。ブラナーの「ヘンリー五世」(91年)に続く力作だ。
(映画評論家)