「マルメロの陽光」映画の生む美術に酔い切る
この記事は産経新聞93年04月06日の夕刊に掲載されました。
この監督、10年にたった一本だそうだが見る私にはそれは関係ない。この一本を見つめればよい。しかしこの監督が「エル・スール」(83年)と「ミツバチのささやき」(73年)の監督ということで血は湧いた。あの2本が忘れられない。童謡であり春の蝶でありオルゴールの音色を聞く楽しさがあったからである。
その監督ビクトル・エリセが絵を庭で描く絵かきの映画を2時間19分で見せた1992年度のスペイン映画。映画は面白いものでその一本でその国の芸術レベルを教えてしまう。
さて絵を描く画家の映画といえばフランスのクルーゾー監督の「ピカソ−天才の秘密」(56年)、この1時間30分が強烈に頭にしみこんでいる。ドキュメンタリーのピカソ自身が絵を描く厳しき一瞬を見せた。そのほか、劇映画になったもの、私生活を見せたもの、いろいろとあったが、この「マルメロの陽光」は汚い小さな庭の隅っこの庭に面した塀にもたれて本物の画家が庭の小さな木を描いているのをじっと見ているような映画。絵を描いている人のその絵を見ていると、ついつい絵が出来上がるまで見たくなるものである。これはその“見たく”を映画にした。
マルメロの実が熟して枝からポタンと落ちるまでを日を追って毎日毎日描く。題名の“陽光”とはマルメロに当たるその陽光、画家は1分1秒その陽光を画布に染め抜き、葉の一枚一枚も、舌でなめるよう描く。雨降ればテントをかけて描く。ひょっこり同じ画家の友人が訪ねてきて、2人であのことこのこと話し合う。これがいい。
また疲れてベッドに横になる。同じく画家の細君がその夫を描く。彼は手の指2本に水晶玉のカットした大きなダイヤモンドのようなのを持って、目のうえに挙げているうちにトロリと眠り、水晶玉はカラカラコロンと床の下に落ちる、その音も光も美しい。やがて庭の絵は出来上がり、熟し切ったマルメロは木の根元に落ちる。
映画が生むこの“美術”の生まれ方。ほのぼのと心温かく、私はこの映画に酔い切った。
(映画評論家)