「ダメージ」ルイ・マルの描く愛欲
この記事は産経新聞93年03月23日の朝刊に掲載されました。
マルの『死刑台のエレベーター』(1957年)も狂恋の果ての殺人事件。マル25歳の第一作。次作『恋人たち』(1958年)、これは映画史上不倫最高名作。私はこれに酔った。何回も見た。デリカシィ、ソフィスティケイションならぬ、このマルのすごい“恋”の描写。フランソワ・トリュフォーがピンクならマルはただれきったレッド。
かくて幾多のマルに酔い、アメリカに転じたときの第一作『プリティ・ベビー』(1976年)、この美しさにアメリカは唖然としたに違いない。けれど夜の女たちのやかた。小さな娘がついに客をとった、商売した、そのことを母がお祝いした。アメリカはこのマルを煙たがった。このマルが再びフランスに戻ったが、力衰え『さよなら子供たち』(87年)でトリュフォーのまねをした。馬鹿ったれと思った。
ところがこのマル、ついに再び本心取り戻し、この『ダメージ』(92年)、イギリス・フランス合作、1時間51分、カラー。これは腐ってもタイだった。まさにルイ・マル、よみがえった。もちろん不倫映画。その愚か、その残酷、けれどこの恋の哀れに笑って拍手のつもりが、涙をこぼして胸つまるマルの恋の映画になってゆく。
ハイ・ソサエティーの内閣要職五十男(ジェレミー・アイアンズ)が、息子の恋する女(ジュリエット・ビノシュ)に恋い焦がれ、この女がまたこの50歳の情熱を楽しむ。この男、彼女と逢えばセックス。昼間の表の道路わきででもセックス。五十男の、しかもしなびた全裸の男のセックスを映画は重ね続けて最後は…。ついに政治ジャーナリストの息子に現場で見られてしまう。息子(ルパート・グレイブス)のショック。こんなシーンはどの映画にもあった。けれど、この父と子のショック・シーンの哀れ残酷に、やっぱりルイ・マル芸術は生きていた。
ジェレミー・アイアンズが見事。その全裸の見苦しさも見せた。やっぱりマルは生きていた。
『ダメージ』とは傷がつくこと。
(映画評論家)