「チャーリー」誰もが本物を見たくなる
この記事は産経新聞93年04月13日の夕刊に掲載されました。
キートンもウィル・ロジャースも伝記映画、ロン・チャニーも伝記映画。この伝記映画誕生はその伝記スタア有名ゆえの興行価値百パーセント。それでチャプリン、何度も伝記企画。舞台も企画。すべてお流れ。チャプリンをやれるスタアはいない。舞台はそれでチャプリン発見のマック・セネットとそのころの人気女優のメーベルでチャプリン抜きの「マックとメーベル」を上演、というわけでチャプリン伝記はお手上げだった。
ところが「氷の微笑」のプロデューサーのマリオ・カサールが「ガンジー」「遠すぎた橋」のプロデューサーのテレンス・クレッグと協力で「チャーリー」企画。この2作を監督したリチャード・アッテンボローの監督でスタート。問題はチャプリンのなり手。これがここに新人、まったくの新人ロバート・ダウニーJr.をひっぱり出し、彼のチャプリンで映画化。世界注目だ。ところがこのダウニーJr.がチャプリンそっくりの背丈、腰から足も、その強みからか彼一世一代の名演をここに見せた。巧い下手でなくチャプリンのニュアンスをつかんでこの「チャーリー」、この主役で生きた。呼吸した。
けれどチャプリン、ただの経歴じゃない。貧乏どん底の幼年時代、カルーノ一座時代、マック・セネット(ダン・エイクロイド)に発見されてのハリウッド1914年時代。ミルドレッドとの破婚、ポーレット(ダイアン・レイン)とのハニームーン。あれこれがスピード駆け足の説明不足。そこでせめてチャプリンの親友ダグラス・フェアバンクス(ケビン・クライン)を少しく紹介と、ダグのチャンバラ・シーンを加えたこの映画、恥ずかしやリズムを崩す。しかしとにかくチャプリン伝記、この世界大注目のこの一大企画こそは、一部二部三部とせめて6時間上映の映画で見せるべきだった。
ところでこの映画、本物のチャプリンの「キッド」「独裁者」が出た。そのチャプリンの見事さ、誰も彼もが「キッド」を「独裁者」をあらためて見たくなったであろう。それこそがこの映画の生命よ!
(映画評論家)