「ヒア・マイ・ソング」黙っちゃおれぬこの痛快映画
この記事は産経新聞92年11月10日の朝刊に掲載されました。
いまや恋とセックスばっかり。腹に来る。ドタマに来る。と、そう思われる人たちに、まったく公開まで早すぎるとも黙っちゃおれぬこの痛快映画、約1カ月早いが紹介しちまえ。
時は今。場所はイギリスのさびれた港町。ここにミュージック・ホールあり。そのプロモーター、若きミッキー(エイドリアン・ダンバー)。この男、あせりにあせり、シナトラ来るとホラを吹き客を怒らせ、恋人ナンシー(タラ・フィッツジェラルド)あいそが尽きた。けれどそのシナトラ、たった一字が違っているというシナトラなる歌手だったのに。
ところがこのサギでミッキーは失格。ついに、今から30年前に姿を消した人気オペラ歌手ジョゼフ・ロック(ネッド・ビーティ)を舞台に立たせると決意のほども勇ましく、ここから映画は歌手さがしのクライマックスへと移るのだが、出だしはイギリスの香り、歌手さがし、これがアイルランドというその風景。この映画、ただものでない。大草原、白い大きな牛。この田舎風景のすがすがしさ。
ついに捕らえた懐かしの人気歌手。なにゆえの逃亡なりや? これが税金逃れの30年。その歌手説き伏せるミッキーとその相棒。ところが、てめえの人気取りのエサに俺がなると思うのか。本音を明かせ、とミッキーに迫る歌手。断崖絶壁から上半身を乗り出させ、サア白状しろ。実は僕の恋人の愛を取り戻すためとミッキー、胸かきむしるや、涙を呑んだ。この歌手、わが恋胸にグサリの思い出があったのだ。
さあこの男、30年ぶりに姿を見せた。警察が張り込んだ。歌うその舞台を取り囲む十数名のポリス、そのリーダー(デイヴィッド・マッカラム)。ここでモミクチャ超満員の前で胸張り裂けんばかりに歌うは「帰れソレントへ」、続く「グッバーイ」で私も泣いた。男の映画。アイリッシュ・ムード。歌声はカエダマなるも、このネッド・ビーティなんたる良さよ! 本人自身、ここで泣いたか。しかもこのラスト、あっとびっくりは言うまい。当年36歳新人監督ピーター・チェルソム、お見事。
1991年イギリス映画カラー1時間45分。(映画評論家)