「ドラキュラ」映画史のページめくるコッポラ
この記事は産経新聞92年12月29日の朝刊に掲載されました。
今どき何故『ドラキュラ』(1992年)。しかも恋に狂ったドラキュラ。まったくおセンチ・コッポラ。華麗。ドラキュラのゲイリー・オールドマン、姫のウィノナ・ライダー、加えて若きキアヌ・リーブス、教授のアンソニー・ホプキンズ。すべて悪かろうはずはない。ただし再び口に出る、コッポラ、何故にドラキュラなるや?
ところで振り返れば、彼の初期作『フィニアンの虹』(68年)はアステアへのあこがれ。『ゴッドファーザー』(72年)はハワード・ホークス監督大作『スカアフェイス(暗黒街の顔役)』(32年)へのあこがれ。『地獄の黙示録』(79年)はサイレントのレックス・イングラム監督大作『黙示録の四騎士』(21年)へのあこがれ。『ワン・フロム・ザ・ハート』(82年)はRKO映画のダンスミュージック映画へのあこがれ。『コットン・クラブ』(84年)はパラマウント映画トーキー初期のモンタ・ベル監督へのあこがれ。さらに古き映画史上の革命的大作とうたわれたアベル・ガンス監督の『ナポレオン』(26年)の、一画面その拡大シーンに3画面6画面あわせて映写のその問題大作を、今に取り上げて努力上映。
という具合に、コッポラは映画その大クラシックから映画史に香りを残す名作へのあこがれがおかしく可愛い。このたびの『ドラキュラ』の華麗なるコスチュームを日本女性の美術家に依存したあたり、何やらイギリスのピーター・グリーナウェイ監督の『プロスペローの本』(91年)のざんしんなる衣装を手がけた日本の女性美術家のことと似ている。
コッポラは、そのむかしの『雨のなかの女』(69年)、続いて『カンバセーション…盗聴』(74年)などコッポラ自身の香りをなぜ捨てるのか。『ペギー・スーの結婚』(86年)だってよかろうに、もうもう映画第一頁の大クラシックを追う映画青年の今年53歳。(映画評論家)