「すみれの花咲く頃」の“ルーツ”
白井鐵造の翻訳ノート 見つかる
5月7日(日) 大阪朝刊
宝塚歌劇を象徴する歌「すみれの花咲く頃(ころ)」を日本に伝えた宝塚歌劇団の演出家、白井鐵造氏(本名・虎太郎、明治33−昭和58年)の同歌の翻訳ノートが、大阪府池田市の図書資料館「池田文庫」で見つかった。もとになった「リラの花咲く頃」の仏語詞と和訳が並び、後のページにはリラを日本人に親しみやすい「すみれ」に変え、大幅に書き換えた現在の歌詞も。同文庫は「いまなお歌い継がれる名歌のルーツをたどる貴重な資料」としている。
白井氏は、戦前から戦後にかけ、計5回欧米を視察。タップダンスや多くのシャンソンを日本に紹介し、独特の「宝塚レビュー」を完成させた育ての親でもある。
見つかったノートは白井氏が昭和3年から2年間の仏留学を終え、持ち帰った資料やノート類の1冊。仏製ノートの表紙に「Les chansons populaires(流行歌)」と書かれ、当時のパリの流行歌18曲の仏語詞と和訳が書かれている。
この中の1曲に「Les lilas(リラの花咲く頃)」がある。「春! 春!(中略)白きリラの花再び咲くとき、人も再び心を悩ます、人の心酔はし、綺れいにするのはそれは春だ」と直訳が書かれ、近くに「すみれ咲きはじめ春を告げるを人は待つ」とアレンジの形跡が残る。後半には、仏語詞にある官能的な表現を、初恋の思い出の歌に変えるため、何度も手直しを加えた跡があった。
原曲は1928(昭和3)年、オーストリアのフランツ・デーレが作曲し、パリでも大流行した。留学中だった白井氏も気に入ったらしく、昭和5年の帰朝公演「パリゼット」で、「すみれ−」を主題歌に据えた。
本場仕込みのレビューは大評判を呼び、白井氏は「日本のレビューを完成させた」と言われる。今回見つかったノートは帰朝公演のいわばネタ帳で、主に同公演で使われた歌曲が並んでいる。
ノートは、同文庫の学芸員、田畑きよ子さんが発見した。田畑さんは白井氏の遺族から寄贈された約90冊のノートの分析を続けており、「ノートからは、白井氏の頭に常に宝塚化の視点があり、本場レビューを変貎(へんぼう)させたことがうかがえる。『すみれ−』はまさに白井氏を通じて解釈がうまくいった好例ではないか」と話している。
今回のノートなど、白井氏のコレクションからみた宝塚とパリの関係について、田畑さんは発売中の「近代日本の音楽文化とタカラヅカ」(世界思想社)で考察を発表している。