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演出家(特別顧問)・植田紳爾(しんじ):すみれの園を創る人たち
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宝塚らしい品格、品性を
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宝塚歌劇団史上空前のヒット作「ベルサイユのばら」や「風と共に去りぬ」で、宝塚ブームを生み出した立役者。理事長時代(平成8−16年)は5組目の宙組誕生や東京宝塚劇場を新装して、創業者の小林一三翁以来の念願だった東京での宝塚歌劇の通年公演を実現した。演出家として手がけた作品は100本を超え、数々の功績は計り知れない。昨年、旭日小綬章を授章。
また、タカラジェンヌOGが勢ぞろいする“春祭り”公演の作・演出も担当。4回目になる今年は、「桜絵巻狸源氏」(大阪・梅田芸術劇場メインホール)が4月2日に初日を迎える。
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昭和8年大阪生まれ、神戸育ち。早稲田大学文学部演劇科卒業後、32年2月宝塚入団。同年12月の「舞い込んだ神様」(宝塚新芸劇場)で早くも演出家デビューした。
「中学から演劇が好きになり、高校を通じて演劇部。役者の心得として日舞、長唄、バレエ、ピアノなどを習ったことで、脚本や演出もやるようになった。初めてミュージカルという言葉を知ったのは大学の授業。手探りで公演しているうちに、葦原邦子さん(元タカラジェンヌ)と知り合い、白井鐡造さん(カリスマ演出家)を紹介されて、宝塚に入ることになったんです」
宝塚大劇場での初めての作・演出作品は35年「泣きべそ女房」。43年「メナムに赤い花が散る」、46年「我が愛は山の彼方に」などで実績を積み、49年“ベルばら”の大ヒットにつながる。「ぼくは大劇場芝居を白井先生、宝塚の外でも通用する芝居を北條秀司先生、演出を尾上松緑さんや長谷川一夫さんといった、一流の方と一緒に仕事をして学んだことが大きかった」
演出家出身の理事長は、白井さん以来。「生徒たちの舞台に対する気持ちはものすごく純真。彼女たちを傷つけずに、才能をどう伸ばしたらいいのか。守ってあげる防波堤になれたらという気持ちでやってきた」という。
そして100周年に向けては、「時代の変化に対応することも必要だが、やはり宝塚らしい品格、品性を失ってはいけない」と締めくくった。
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