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星組 檀れい 退団会見
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大好きだからこそ、自分で決めたゴール
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宝塚歌劇団の8月14日の「長崎しぐれ坂」「ソウル・オブ・シバ!!」東京公演千秋楽で退団することが決まった美貌(びぼう)の娘役トップ、星組の檀れいが7日夕、兵庫県宝塚市のホテルで退団の記者会見を行った。「専科から再び、星組の主演娘役となったときに、自分の中で2005(17)年夏までと(退団の)時期を決めていました」と、胸の内を明らかにした。
この日、檀は、金ラメのインナーに白のカーディガン、アシンメトリーのミディスカートという装いで会見場に現れた。会見ではまず、小林公一理事長が「月組と星組で主演娘役をつとめ、宝塚を支えてくれた偉大な娘役。卒業は残念ですが、快く送り出してやりたい」と切り出し、檀は「これまで育てていただいて感謝しております。8月の退団まで精いっぱい務めさせていただきます」とあいさつした。
退団理由は、「寿退団ではなく、はっきりした理由はないんです。大好きな宝塚だからこそ、自分で決めた時期まで走り続けようと思ったんです。今年のスケジュールを見ると、星組は宝塚大劇場の公演が一度だけ。私が星組の主演娘役をやらせていただいて4公演目になりなすが、これが期間的にも、時期的にもいいのではないかと」と答えた。
思い出に残る作品や役に関しても、「どんな役でも、どんな場面でも、すべての作品が今の私を作ってくれた証し。ですから決めかねますが、(あえていうなら)大好きな宝塚に入って初舞台の口上を述べたときの気持ち−−が、今でも忘れられません」と語り、具体的な作品名などは挙げなかったが、気持ちを精いっぱい表現した。
退団後の進路については未定というが、「これまで培ってきたことを生かせる道を選びたい」「私は舞台と結婚しているのが、一番幸せ」「中国でのお仕事も、チャンスがあれば前向きに考えたい」などと話し、女優として芸能活動する意欲を十分に示した。
檀は京都府出身。平成4年3月に「この恋は雲の果てまで」で初舞台を踏み、5年に月組に配属。当初から華やかな容姿が際立って注目を浴び、9年に雪組に組替えになって、10年の全国ツアー公演「風と共に去りぬ」ではメラニー役に抜擢(ばってき)された。同年12月には月組に復帰して、11年の全国ツアー公演「うたかたの恋」から、トップスター、真琴つばさの相手役として娘役トップに就任。同年の北京・上海公演では、現地で、その凛とした美貌が“楊貴妃の再来”と絶賛された。
13年7月に専科入りして、芸術座の「極楽丁一丁目〜嫁姑地獄編〜」に外部出演。14年の日生劇場の特別公演「風と共に去りぬ」では再びメラニーを演じ、同年の第2回中国ツアー公演でも主演娘役で参加した。15年2月に星組トップ、湖月わたるの相手役として娘役トップに返り咲き、「王家に捧ぐ歌」のアムネリス、「花舞う長安」の楊貴妃などの当たり役を得て、圧倒的な美しさと存在感で宝塚を代表する娘役に成長した。
退団までの予定は、2月2−24日=中日劇場公演「王家に捧ぐ歌」▽3月24、25日=宝塚ホテル「檀れいミュージック・サロン」▽3月27、28日=東京・パレスホテル「同サロン」▽4月29、30日=宝塚大劇場「TCAスペシャル」。そし退団公演となる「長崎しぐれ坂」「ソウル・オブ・シバ!!」が、宝塚大劇場で5月13日−6月20日に上演され、東京宝塚劇公演の7月8日−8月14日で最後となる。
微笑みながら答えていた会見の中で、グッと涙をこらえるシーンが2度あった。「長崎しぐれ坂」を演出する植田紳爾が「退団の花道を飾るものを作ってあげたい」と話していたと聞かされたエピソードに言及したとき。「一生徒として幸せに思います。そういう宝塚が大好きなんです」。そして「王家に捧ぐ歌」中日公演の顔合わせで、湖月や星組生に退団をどう伝えたのかという質問に答えたときだ。「中日公演はフルメンバーではないので、組の全員がそろう、最後の公演の集合日に、ちゃんとみんなの顔を見てあいさつします。湖月さんは…今は何も言わずに笑顔で見守ってくれている感じです」と語ってから言葉を詰まらせた。
下級生に贈る言葉を求められると「うれしいことも、悲しくつらいこともたくさんあるけれど、大好きで入った宝塚。自分の信念を忘れず、一歩一歩歩んでいくことが、明日の宝塚につながり、ステキなゴールを切れる」と語り、会見を締めくくった。
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