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訃報

「才能ある少女をみつけた」。ジャズピアノの現代の巨人、チック・コリアは、そういって自分の公演の舞台に1人の日本人の少女を招き上げた。17歳だったその少女は5年後、音楽の勉強のため渡った米国でCDデビューを果たす。チックの見込みは間違っていなかったのである。上原ひろみ(24歳)。力強いタッチと自由な楽想。2003年に初作品「アナザー・マインド」が出た際、ニューヨークパンクの女王、パティ・スミスの作品を引き合いに、その音楽の革新性をたたえる米音楽メディアもあった。そんな上原の2作目「ブレイン」(ユニバーサルミュージック/UCCT-1090/\2,548)が21日に発売される。「アナザー・マインド」が第18回(2003年度)日本ゴールドディスク大賞「ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞、授賞式出席のために来日した上原に話を聞いた。


テレビで彼女の演奏する姿をごらんになった読者もいるかもしれない。いささか爆発気味のヘアスタイルの女性が、激しく身をよじりながら、あるいは恍惚となりながらピアノに向かっている姿は、かなり印象に残ったのではないだろうか。かなりエキセントリックな女性なのでは? そんな先入観をもってしまったのが正直なところだ。ちょっとこわごわしながらインタビューを始めた。まずは、6歳でピアノを始めたきっかけは?
自分探しだったボストン留学
上原 母親がピアノ教室に連れて行った。
01)カンフー・ワールド・チャンピオン
02)イフ
03)ウインド・ソング
04)ブレイン
05)デザート・オン・ザ・ムーン
06)グリーン・ティー・ファーム(ソロ)
07)キートーク
08)レジェンド・オブ・ザ・パープル・ヴァレー
09)アナザー・マインド(日本盤のみボーナス・トラック)?

ご家族でどなたかがピアノを弾いていたのですか? お母様が?

上原 いや、やっていない。母もやっていません。習いたかったみたいですけどね。

静岡県浜松市で生まれ育った。祖父母の家が茶の生産・販売をしてるといい、子供時代の記憶に、どこまでも広がる茶畑の風景が刻まれている。6歳で母親がピアノを習わせた。通った教室は2カ所。ひとつは自宅そばの個人レッスンの教室。もうひとつはヤマハ音楽教室だった。ヤマハ音楽教室では、おもに作曲を学んだ。いずれも非常にユニークな勉強法がとられた。おそらくは、そのことが、彼女の才能を花開かせるうえで大きく作用していると思われる。個人レッスンのピアノ教師は、情熱的な曲ならば「赤で弾いて」などと教えたのだ。

上原 (その先生は)色鉛筆で楽譜に色をつけるんですよ。その色を見て弾く。感覚を育てるのだと。手は表現の手段である。だから、手を使って心を伝える人になりなさいと。ヤマハ音楽教室は音感を養うような勉強が中心で、歌を歌ったり、みんなでピアノを弾いたり、思ったことを旋律にして弾くとか。楽しかった。友達と遊んでいるような感覚でしたね。もっとも、小学4年のときからは授業内容は、作曲1本やりになりましたけど。

ともに12年通った。ジャズピアノの巨人、チック・コリアがヤマハ関係の仕事で来日したのは、彼女が17歳のときだった。この巨人との出会いが、ひとつの大きな転換になる。

上原ひろみ 上原 ヤマハのほうで、チックに会わせてくれると。お会いしたら「なんか弾け」というので、弾いて。「即興できるか」というから即興演奏して。「あした暇か?」問われたから「暇」って答えて。「(自分の)コンサートにこい」っていうんでいったら舞台の上から呼ばれて、その場で弾いた。もっとも、あのころは英語が和から泣くって。チックが「たいへん有能な少女に会いました」とかなんとかいってくれたらしいんですが、私は「hiromi!」って(名前を)呼ばれたときに舞台に出ていった。緊張はしませんでした。私は舞台では一度も緊張したことがないんです。舞台がなんだか、自分の家のように感じられて。でも、チックっていう人が、どれくらいすごい演奏家なのかは知っていたから、彼の音楽と対話できるチャンスをいただいて、すごくうれしくて、興奮した。興奮していたから、そのときのことはよく覚えていないんです。頭の中が真っ白になりましたね。演奏の途中で、チックが「ひろみ、ソロ(をとれ)」って指示を出して、自分は打楽器を手に、ピアノの周りを踊りながら1周してから、また連弾を始めたのは覚えています。即興演奏については、ヤマハで、あるイメージに基づいて演奏してみなさいという形で教わり、覚えました。ピアノの先生も、クラシックを教えてくださっているのに、楽譜に書いていないことを弾いても怒らなかった。もともとジャズが大好きな方で、私が8歳のとき、オスカー・ピーターソンとエロル・ガーナーのレコードを聴かせてくれました。そのとき、おもしろい音楽だなと思った。なんだか、楽しそうだった。リズムがはねている。クラシックと比べると、こう、体の揺れ方が違う。

チック・コリアが認めただけのことはあり、デビュー話も舞い込んできたが、まだそのときではない、と考えた。作曲の仕事なども依頼があった。20歳のときに、ある自動車メーカーのテレビCMの音楽作ったが、管弦楽団の編曲をする必要に迫られた。その歳、管弦楽の奥深さに気づくとともに、作編曲についてもっとしっかり学びたいと考えた。これをきっかけに本格的な音楽勉強のため、渡米する決意をした。結局、ジャズに力を入れているバークリー音楽院のカリキュラムを気に入ってボストンに渡る。

上原 渡米はしたい、とずっと思ってはいたんですが、勉強したいと強く思ったときにいくのが、吸収するにはいちばんいいだろうと考えていて。それが、20歳のときだったんですよ。ボストンでは、音楽漬けの日々でした。学校で音楽の授業。それが終わると友達とセッション(演奏)。その後、またセッションして、セッションして…眠くなったら眠るっていう感じ。ふふふ。結局、学校の友人とは食事をしていても必然的に音楽の話になりますしね。

日本ですでに作曲家としての仕事もあったのに、なぜ、渡米したのか。この疑問には実に明快に答える。彼女の音楽に対する明確な姿勢がうかがえる。

上原 音楽を極めたかった。自分の出したい音を出せるようになること。自分の弾きたい音が弾けるようになるということです。理想の音を。どんな音がいいのか、は分かっている。ボストンでやっていたのは、それに近づける作業でしたね。なにをどうしたらいいのか。そのために必要なのは、音楽技術ではない。いってみれば、自分さがしですよ。自分は何者か? 自分の音とは何か? お笑いの人でいうなら芸風をつかむということでしょうか。そしてさがせました。自分のボイスでしゃべれるようになったから、CD出そうと思った。探し出した瞬間、というのはないかんです。徐々に手にした。たとえば、私のライブを見に来てくださる固定ファンがついてきたときとか。そう、人から教えられることは、たくさんあります。

米国デビュー お祭り騒ぎの喜び
上原は、米国のテラーク・ジャズというジャズのCDを専門に出している会社からCDデビューを果たした。日本の演奏家の海外デビューは、日本でデビューした後、その作品をあちらでも出す−−という例が多い。だが、上原はまったく無名の、在野の演奏家として、テラークが直接契約をした。米国が直接、その才能を見込んだわけだ。テラークは、ジャズのCD制作では後発あるいは新興ながら、世界文化賞受賞者でもある巨匠、オスカー・ピーターソン、ジョン・コルトレーンの楽団で1960年代の音楽世界を席巻したマッコイ・タイナーなど歴史的なピアノ奏者の新作を多く手がけている。ピアノ奏者にとってテラークとの契約は、大きな意味をもつ。その契約には、ピアノ奏者、アーマッド・ジャマルが橋渡し役として登場する。音数を極端に抑えた独特の演奏法で1950年代、ジャズの帝王と呼ばれたトランペット奏者、マイルス・デイビスに多大な影響を与えた人物だ。デビューに至る経緯は?

上原ひろみ 上原 バークリーの作編曲クラスの先生が、私が期末試験で提出した作品を気に入ってくれて、「ぜひあなたの自作曲も聴いてみたい」とおっしやった。そこで、私の作った曲を提出したのですが、それは、私自身がピアノを弾いた録音でした。実はそのクラスはあくまで作編曲クラスでしたから、先生は私がピアノ奏者だということを知らなかったんです。初めて私の演奏を聴いて、「なんと、君はピアノ奏者だったのか。しかも、こんなに演奏力があるのか。僕、実はアーマッド・ジャマルと知り合いなんだが、彼にぜひ聴かせたい」といわれた。アーマッドさんを通じて、テラークに私の話が伝わりました。デビューが決まったときは、ヒュー! うれしかった。すごい、うれしかった。もぉぉぉぉぉのすごく、うれしかった!! お祭りさわぎ!! 

具体的に何がうれしかったのか? CDが出せること? それとも…

上原 なんといっても、米国に残ることができるのがうれしかった。米国に残りたくて、努力をしていたんですよ。実は、各レコード会社にデモテープをばらまいていました。ああ、これで米国で仕事ができると思いました。 音楽の仕事をするのなら、米国。挑戦が多い。刺激も多い。もっとやらなくちゃと闘志をかき立てられる機会が多い。日本で仕事のお誘いもあったけど、私にとっては、音楽を究めるのが第一。そのためには、米国にいないといけない。

不安はなかった?

うーん。やってみなければ、分からない−−と思っていましたね。とりあえず、なぜばなる。やってみよう。チャレンジあるのみだ。後先考えずにやれば、なんとかなる。怖がってしないなら、結局できないんだと思っていた。

いままでのとろ、“なせばなって”きている?

上原 壁には“ぶち当たりまくって”います。それで落ち込むこともあるけれど、長い目で見れば全部プラスになっている。

それぞれの曲に物語がある
では、新作「ブレイン」について教えてください。

上原 今回は、1つ1つの曲にしっかりしたあらすじがあって自分の中で、その映像が見えている。つまり、ストーリー設定をしたうえで、そのストーリーに曲をつけていった。だから、録音の前にまず、メンバーにはストーリーを伝え、「あなたはこういう役だ」と説明した。ストーリーについては、紙にタイプしたものを渡しました。楽譜より先に、そのあらすじを渡した。あらすじの土台の上で、どれだけの即興とドラマを繰り出せるか。舞台に似ている。起承転結はあり、次はこの場面につなげなくてはならないのは分かっているけれど、流れからそれない範囲でいろんなところにいく。その日ならではのものを交えながら、大きな物語を作る。そういうやり方をしました。できあがりには、満足していますね。納得しています。前作は初めての録音だったので、胸を借りる感じがありましたが、今回は全部を自分できちっと把握していた。ものすごく細かいことまで把握しながら進めた。たとえば、それぞれの楽器の音の長さまでかちっと。録音前に録音と同じメンバーで2カ月ほどの公演をし、それを毎日録音して、全部聴いて、気に入らないところは各演奏家に伝えてありましたし。「ここはこういうイメージでやってほしい。あなたのイメージは違う」とか。各演奏家の解釈を通してもなお、私の思い描く音と変わらない。そもそもそういう演奏家を選んでいるわけだから、きちんと伝えれば、私が思い描いたとおりの演奏になる。

では、それぞれの曲のストーリーを教えてください。開幕曲は、「カンフー・ワールド・チャンピオン」。つまり、カンフーの世界チャンピオンが主人公なんですね? 東洋的な旋律、古くさいシンセサイザーの音色が非常に印象的ですが

上原ひろみ 上原 私、ブルース・リーとジャッキー・チェンが大好きで、このふたりにインスパイアされて作ったんです。ジャッキー・チェンって、そのへんにあるものを武器にして闘うんですけど、その武器をとる絶妙のタイミングと“切れ”を音楽にしたら気持ちよくなるのではないかと思いました。カンフーは東洋のものですから、鮮烈がアジアっぽくなるのは当然ではないかと思います。シンセについては、ただそういう音がほしかったから。このほか2曲でも使っていますが、同じ理由です。メンバーは、楽譜に「ここで、スピンキック」とか書き込んでいました。

「ブレイン」と「キートーク」という曲ですね。

「ブレイン」は理性とそれをじゃまする感情が主題。シンセサイザーは理性のほうを象徴しています。こう…脳波がピコピコしている感じ! 脳の音を出したらあんな感じだった! 「キートーク」は鍵盤がしゃべったら…が主題。ピアノを弾いてしゃべっているように聞こえるようにするには、それと同じ音域で音符が動けばいい。人の話声やラップの音域を調べて、その範囲内で旋律を作った。さらに、シンセサイザーのほうがピアノよりも声に近いかと。

「イフ」は?

IFっていう言葉が好きなんです。想像すればいろいろなところに飛んでいけるでしょう。ボストンは寒いから、もしここがハワイだったらなとか。その日の気分でどこへでも飛んでいける曲がかきたかった。「ウインドソング」は、風についての曲。温かい春の風は草木に命を与えるけど、台風は家を壊す。風のいろんな表情を曲にできないかな−−と思った。「デザート・オン・ザ・ムーン」は、月の砂漠での日の出・日の入り、昼夜をイメージした。「グリーン・ティー・ファーム」は、祖父母の家の茶畑をイメージした。家族がそばにいる気持ちになれる曲を書きたかった。「レジェンド・オブ・ザ・パープル・ヴァレー」は、花の精の悲恋の物語。

花の精は自分?

違います。

最後に、「ブレイン」を表題にした理由は?

聴く人に、頭の中でいろんなことを想像していただきたいと思ったからです。映像を思い浮かべてほしい。この作品は、いわばショートフィルム集なんですよ。

演奏する姿をテレビで見たらエキセントリックな女性に見えた、と冒頭に書いたが、話すうちに少しリラックスしたのか、笑い声も絶えない、ふつうの女性がそこにいた。当たり前なのだが、少しホッとした。ただ、音楽に対する意欲、熱意は、やはり並々ならぬものをもっていることも分かった。最後に、少しピアノを弾いてもらった。短い時間だったが、その恍惚とした表情にはやっぱり圧倒された。瞬時にして音楽と一体になれる。自分の音楽を極め、理想の音を出せる。それは、もしかしたら、こういうことなのかもしれない。だから、「ブレイン」は、ただロマンチックな音楽が聴きたい人には、向かない。「カンフー・ワールド・チャンピオン」など、びっくりしてしまうだけだろう。手応えのある音楽を求める人には、聴いてもらいたい。表面的には、なんだかユーモラスだったりしても、その奥に輝くものをきっとみつけられるはずだから。