「いっさいがっさい」で今年1月にデビューしたシンガーソングライター、奥村愛子(24)が、24日午後7時から東京・渋谷O−Westwで初ライブを行う。13人編成のビッグバンドを従えて、彼女らしい“妄想オシャレ歌謡”を披露する。おっと、奥村愛子って何者? という読者も多いだろう。そこでENAK、早速ご本人に会いに出かけた。
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昨年来、「昭和」がブームになっている。たとえば、「食玩」。コンビニエンスストアを中心に販売されている、要するに菓子類のおまけだが、ちゃぶ台やら三種の神器、あるいは円谷プロのウルトラシリーズのヒーローたちの人形が、精巧に再現され、大人たちをとりこにしてヒットしているのだという。
あるいは、NHK朝の連続テレビ小説「てるてる家族」。昭和40年代までのパン店の家族の物語だ。
懐古だとしたら、21世紀の私たちは何を懐かしんでいるのか。「てるてる家族」に出演している落語家の桂小米朝は「あのころを思いだすことが元気を取り戻す原動力になるのではないか」と書いている(平成15年9月28日付産経新聞大阪本社版朝刊)。活力? いまの日本人は、すでに失っているということか。
音楽の世界にもその潮流は押し寄せている。古い歌をいまの歌手たちが歌い直す「カバー」といわれる手法の導入とそのヒットだ。
さてここに、ひとりの新人歌手がいる。奥村愛子(24)。惹句は「昭和ノスタルジー、ごちゃまぜ妄想オシャレ歌謡」。彼女もまた、そうした潮流の水しぶきの一滴なのか。答えはYESでNO。
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奥村は、6曲入りミニアルバム「いっさいがっさい」(東芝EMI)で今年1月にデビューした。そのデビューCDの装丁のイラストは、古きよき時代のキャバレー歌手を思わせる。わざわざカタカナで「ステレオ」と表記してあるのも、時代がかった演出だ。
いっさいがっさい
東芝EMI/TOCT-22235/\1,575(Tax In)
1:いっさいがっさい(密命ヴアージョン)
2:いろのない日記帳
3:わたしはずるい
4:ドドンパ
5:メトロノーム
6:他人の関係 |
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CD再生機を稼働させれば、装丁を裏切らない音が聴き手にとびかかってくる。幕開けは表題曲「いっさいがっさい」。14人編成のジャズロックバンド、The Thrillの伴奏は、いにしえのビッグバンドそのままに管楽器群が鋭いうなりを上げる。ドラムが揺れるジャズビートを刻む。そして、奥村が、まさに昔ふうにいうならパンチの効いた歌声で破滅的な恋の覚悟を迫る歌詞をうたいあげる。
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「両親が鼻歌で歌っていた、昭和50年代の歌から好きになったんです。そこを起点に自分で掘り下げていってもっと古いグループサウンズとかガールズグループの歌、さらにもっと古いカバーポップスなども聴くようになって」
いわば幼児体験から、古い歌への関心がはぐくまれた。テレビの懐メロ番組を録画して、繰り返し見ては歌詞を聴き取ってメモした。「ルビーの指輪」「キッスは目にして」。友人とカラオケにいっても、そんんな歌をうたった。
「布教」
そういって笑う。最初、奇異の目で見ていた友人たちも、歌を聴いて「それ、いいね」と態度が変わった。 時代を超えて良い歌は良い。確信した。
具体的な音楽活動は大学に進学してからだった。高校時代は軽音楽部設立の署名運動を行ったが、集めた署名を教師に破られ、挫折。大学では満を持しての軽音楽サークル入りだったが、ここでとりあえず参加した先輩のバンドでソウル音楽のコピーを始める。聴く音楽の枠がジャズやファンクなどへと広がった。
また、大学2年生になって歌を作り始める。それまで気に入った言葉を書き留めたりはしていたが、具体的な歌詞作りはこのころ始めた。
「音作りは、大学時代の経験が基盤になっている。歌詞のほうは小さいころに聴いた歌からの影響が大きい」
ともかく、こうしていまの奥村の歌世界の基盤ができあがっていく。
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もっとも、アマチュアとしての活動歴はそれほどのものではなかった。ライブハウス出演といっても、4、5回出たに過ぎないが、その鮮烈な印象はライブハウス経営者の記憶に刻まれ、その口から現在の事務所社長へと名前が告げられ、デビューにつながる。
ライブハウス時代は、もちろん、ビッグバンドをひきつれていたわけではない。そもそも大所帯のビッグバンドは維持するのが非常に難しい時代になっている。したがって、したがってごく一般的な5、6人編成のバンドにふさわしい編曲で音楽を作っていた。
が、具体的なデビューの形が見え始めたとき、ぜいたくにもビッグバンドサウンドが使えることが分かり、自分の中に蓄積された音楽が、そのままはき出されることになるのだ。
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具体的に「いっさいがっさい」を聴いていこう。冒頭を飾るのは、表題曲。この歌、続く「いろのない日記帳」は、14人編成のジャズロックバンド、The Thrillを従えて、ストレートなビッグバンドサウンドを聴かせる。
「この歌は、インディーズ盤で出したことがあります。もっとも、歌詞は『いっさいがっさい』という言葉以外全部違うし、旋律も少し違います。歌詞を変えた理由のひとつは、単純に別のイメージが浮かんだから。それと、こちらの歌詞のほうがより現実感のある表現になっています。私の今のスタイルの出発点になった歌でもあり、思い入れはあります」
「いろのない日記帳は」は、「何も書き込まれず、涙に濡れた白いノートを紙飛行機にして飛ばした、その空の青さだけが自分の色だ」という切ない歌詞の内容。
「伝えたいことがたくさんあるのに、それがうまく伝わらない。そういう自分を客観的に、ちょっと皮肉ってみたのがこの歌詞。日記帳って本当の日記帳ではなく、“思いの固まり”のことなんです。まるで色のない自分の心。窓の外を見たら、空が青くて、その青という色が心に刺さる。空だけが私をいやす。そういう心境です」
奥村の歌世界は、威勢の良い音作りとは裏腹に、切ない歌詞が特徴だ。本人も認める。
「痛々しさを聴く人に感じさせたいわけじゃないんですが。忘れたかったり、目をそむけたかったりする感情を自分で認めたり、口にしてみることで意外と気が楽になるかもしれない。聴く人の中に私と同じような感情を抱いている人がいるとしたら、私の歌を聴いて楽になってほしい。私の経験から書いている感情。ということは、どんな人にも似た感情があり、共感してもらえるのではないか。歌詞が“痛い”ので、気分を高める楽しいサウンドにしたいと思っているんです」
「わたしはずるい」は、さらに“痛さ”を強烈に訴える。
「だけど、痛いだけで終わりたくはない。痛みが女の子をきれいにするかもしれない。自分のずるさ、嫉妬を忘れるより認めたほうが、次には一歩進んだ恋ができるだろうし、もっといい女になろうって努力できるんじゃないかな」
「どどんぱ」は、コンピューターによるいわゆる“打ち込み”で作った伴奏で歌う。そう。だから、彼女は単なる懐古趣味の歌手ではないのだ。「昭和歌謡」の焼き直しではないから、惹句は「昭和ノスタルジー、ごちゃまぜ妄想オシャレ歌謡」と「昭和」と「歌謡」の間に長い言葉をはさみ込んだ。
「いろいろな色をつけたくて、この歌と次の『メトロノーム』は、違った音作りにしました。この歌は、当初、“打ち込み”による演奏だけにしようと考えていたのですが、できた音がすごくおもしろくて歌詞をつけたくなっちゃった。『メトロノーム』のほうは、ファンキーな感じですよね」
アルバムの掉尾を飾るのは、昭和48年の金井克子のヒット曲「他人の関係」。
「まず、歌詞の世界観が私の作る歌詞と似ているなと思いました。ただ、私よりずっと成熟した女性の心情ですよね。だからうたってみたかった。それもあえてサラッとした感じで。だから、コーラスも入れてフワッとした感じに仕上げてみました」
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もしかしたら、恋愛に関しては不器用なのでは…?
「ひねくれているほう、だと思います。素直じゃないほうだと。だから、いえなかったりすることを歌で代わっていいたかったりするのかも」
つまらない質問をしてしまった。だとげ、どんな質問にも真剣に考え、答えようとする。自分の音楽についても、冷静な視点をもつ。
「デビューのタイミングが、昭和レトロブームと重なってしまったけれど、別にそれに合わせているわむじゃないんです。ただ、そのブームをきっかけに聴いてくれる人がいるのなら、それはそれでうれしいですけど。昔の歌に影響されているけれど、昔の歌の複製じゃない。現代を生きて、いろいろな音楽を聴いて、それぞれの良いところを自分なりに解釈して取り入れています」
24日、東京・渋谷O−Westでライブ。
「ビッグバンドとやるんですよ。メンバーは、私を入れて14人。メンバーは同い年ぐらいの演奏家を集めて。このめんつで全国を回ろうかなと思っているんです。絶対に回りたいな。バスで行けたらいいな。楽しいですよ。うるさいですよ!」
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