s
LongInterview
   

表紙に戻る
宝塚歌劇団特集
映画特集
Webコレ聴き隊
百貨店情報
TV関連ニュース
音楽関連ニュース
舞台関連ニュース
その他の話題・事件
晴読雨読
編み物専科
私的国際学
訃報

大黒摩季が、なんとコピーバンドを組んだ。メンバーは、土屋公平(ギター/元ストリートスライダーズ)、恩田快人(ベース/元ジュディ&マリー)、真矢(ドラム/元LUNA SEA)、そして著名編曲家の武部聡志(キーボード)。ミニアルバム「COPY BAND GENERATION VOL.1」(東芝EMI/TOCT−25358/¥2,300)を出し、さらに5月14日には東京・渋谷のライブハウス、SHIBUYA−AXでライブまで敢行する。ところで、コピーバンドってなんだ? という読者もいるでしょう。実は、コピーバンドであるという点が、今回の企画ではとても重要なのだ。大黒に話を聞いた。


コピーバンドとは何か。読んで字のごとく、既存の楽曲を複製し、演奏することだ。軽音楽の流行の傾向が変わって、最近はバンド活動もやや下火になりつつあると思うが、その昔、ちょうど大黒の少女時代にあたる1980年代までは盛んだった。そして、そういうバンド少年・少女たちがまず最初にすることが、あこがれのバンドの楽曲を徹底的にコピーすることだった。既存の楽曲、とりわけある特定のバンドの楽曲を集中的にコピーし、演奏するバンドをコピーバンドと呼んだ。やがてコピーにあきたり、独自性を求めるバンドは自作曲の演奏へと移行するわけだが、どんな偉大な演奏家、バンドだって出発点はコピーバンドにあった、といっていい。他人の楽曲を演奏するのなら、昨今流行の“カバー”と同じことか、というと、これがちょっと違う。その違いは、後で大黒の口から語ってもらうとして、そもそもこのCDが作られた経緯について聞いてみよう。この作品が作られた経緯は?
カバーじゃなくてコピー!
大黒 武部さんに制作監修者をお願いして昨年、「いとしいひとへ 〜Merry Christmas〜」( 東芝EMI/TOCT-4654/¥1,223)という作品を作った際、こんどはお互いが演奏を楽しめる、遊びのような企画をしないかという話になった。ちょうど公演に参加してもらっていたLUNA SEAにいた真矢くんと、「仕事とは関係ない、遊びのバンドを作ろうぜ」という話が出てもいたんです。私はといえば、ソロ歌手なので、高校生のころ以来、固定的なバンドの経験がなく、みっちりとバンド活動をやりたい気持ちになっていた。まさにそんなとき、住宅建材メーカーのトステムからテレビCMのために「バスルームから愛をこめて」(昭和55年/山下久美子のデビュー曲)を歌っほしいとおっしゃっていただいたんです。でも、単にうたって最近流行のカバーをやるのもイヤだなと思って。カバーについては、釈然としないものがあるんですよね。カバーはライン(旋律)をなぞるだけで、いわば自分で自分をまるめこむわけです。もちろん、それでも歌い手本人の色は出るわけですが、原曲と比較できる次元のものにはならない。コピーはといえば、しっかりコピーするほどに自分の個性が出てくる。「じゃあ、バンド組もうかな」。カバーじゃなくて、少女時代にやっていたコピーバンドをもう1回やりたいな。これは最大の遊びだと思った。そこで、武部さんたちとバンドを組んで、「バスルームから−」を録音したら、全員が少年少女気分に戻って「1曲だけじゃ物足りないね」「じゃあ、アルバム1枚作っちゃおう」。カバーのような、単なる焼き直し、あるいは荒療治な感じじゃなくて、昔ながらに、愛情いっぱいにコピーをして、みっちりとコピーバンドをやろう。それでできたのがこの作品です。
01)フレンズ※
(レベッカ)
02)激しい雨が※
(THE MODS)
03)バスルームから愛をこめて※(山下久美子)
04)どこまでも行こう★
05)翼の折れたエンジェル※
(中村あゆみ)
06)SOMEDAY※
(佐野元春)
07)HERO★(麻倉未稀)

カッコ内は原曲歌手名
※ performed by 大黒摩季とフレンズ
★ performed by 大黒摩季
歌声と同様、ハスキーな声で説明する。語彙(ごい)が豊かで、歌からは想像もしなかったほど、饒舌(じょうぜつ)でもある。それほどに、この企画に対して情熱和もっている、ということなのだろう。選曲作業に入ったら、はスタッフ、メンバーから多数のリクエストが出てきて閉口した。スタッフの中にもコピーバンド経験者が多く、それぞれの熱意は、音を立てる石つぶてのように大黒のもとに飛んできた。収拾がつかないので、大黒に一任されたが、「バスルームから−−」を含むシングルCDの当初予定は大きく軌道を修正し、5曲を演奏することになった。これにほかの機会に録音した他人の歌2曲(「どこまでも行こう」「HERO」)を加えたミニアルバムに落ち着いた。ところで、コピーバンドには「完全コピー」というやり方がある。元と寸分違わぬ演奏をすることで、よしあしは別にして究極の様態だ。大黒たちも当初は、この“完コピ”に行き着いた。

大黒 そしたら、物まねバンドみたいになっちゃって。すごく似てた。全員が大人である分、変なプライドがなくて、本気でコピーしちゃったんです。なにしろ、いい年をしたおじさんたちが、他の人がしゃべっている横でもお構いなしに、携帯用CD再生機を聴きながら、せっせと複製している。それはそれは、かわいらしい世界でしけれど、そのものになっちゃった。私なんか自分を見失いましたからね。「そこまでいくと、物まねみたい」と指摘されて、じゃあ、自分らしさもちょっと出してみようとしたら、「大黒摩季ってどんなふうにうたうのだっけ?」。結局、翌日まで自分を思い出せずじまいでした。どんなに完璧(かんぺき)にまねしたところで、本物にかなわないわけです。

だから、完全にコピーした時点から、自分たちの“エキス”を再確認しながら出す作業に移った。それがもっとも顕著に出たのは、「翼の折れたエンジェル」(昭和59年/中村あゆみのヒット曲)だろう。中村のハスキーな歌声は大黒と通じるところがある。この歌をどう調理したか。印象は原曲とガラリと変わっている。原曲には、孤独感とそれに打ち克つ力とがみなぎっていた。大黒の歌唱では、力は、みなぎるのではなく、秘められている。

大黒 “翼折れまくりぃエンジェル”になりましたよね。この歌をうたったときのあゆみちゃんは10代でしたから、「翼が折れている私もまたすてき」という気分だったのではないかと思うんですが、いまの私(の年齢)だと、ボキボキ折れちゃっているエンジェルみたいな感じがして、自分で笑ってしまったんですよね。基本的には、ノリだけが変わっていて、あとはほとんど一緒。そこで、リズムの力を感じましたね。ノリを変えただけでさわやかだった歌が、こんなにしみるのかと。前半はギターと私のうただけなんですが、ブルース・スプリングスティーンやボブ・ディランのね“しみる”歌のように聞こえてきて、改めていい曲だなと思った。あゆみちゃんのうたは、いわば、若者の代表者が「翼が折れているのはあなただけじゃない」と教えてくれた。その歌を裸にしたら、若いときだけじゃなく、翼が折れて大人になったって立ち上がって、がんばれるんだっていう、奥の深い歌として聞こえてきた。これはすごい曲なんだな。いろいろな視点から曲が見えてきて、おもしろかったですね。

さらに、この「翼の折れたエンジェル」について、歌を作った作曲家、高橋研と直接話し合う機会ももった。

大黒 大黒 あゆみちゃんが何を目指していたのか、作曲者の高橋研さんと話し合いました。個人的に、少女時代にもっとも頻繁にうたっていた歌かもしれません。ちょうど、初めて恋をして、孤独を味わったころだった。いちばん歌い込んでいるからこそ、ちゃんとお話をして、自分なりのものにしたかった。そこで、「コード(旋律を支える和音構成)を考えれば本当は半音下げて歌うべき部分があるのではないか」と尋ねたら、「作者としてはそのつもりだったけど、あゆみは録音のときに気持ちが高ぶっていたので、半音上で歌った。だけど、それはそれで気持ちがよく響いたのでOKにした。だから、どっちでも、いいんだよね。好きに歌ってください」という答えでした。「当時は、さわやかな印象で作ったけれど、どろどろの雰囲気にしてもおもしろいだろうからどうぞ」とも。それで、こういう結果になったんですよ。

女性歌手の歌だけではなく、男性歌手の歌までうたっているのも特徴的だが、佐野元春の「サムデイ」は、原曲に比べるとサラッとした仕上がりになっている。それは、男と女の差だ、と大黒は分析する。なるほど、男は40歳を過ぎても「愛のなぞがとけて、1人きりじゃいられなくなる」と、まっすぐに歌うことはできる、かもしれない。だけど、女性は…

大黒摩季とフレンズ

大黒摩季(歌)
武部聡志(キーボード)
真矢(ドラム)ex LUNA SEA
恩田快人(ベース)ex JUDY AND MARY
土屋公平(ドラム)ex THE STREET SLIDERS

TOSTEM ONE NIGHT STAND 大黒摩季とフレンズ
5月14日[金]
東京・渋谷 SHIBUYA-AX
http://www.m-drive.org/
大黒 あの歌は佐野さんというカリスマがうたえばこそ、という部分もある。そもそも佐野元春という人に音楽理論は通用しない。佐野節とでもいおうか、理屈でコピーしようとしても無理なんですよ。たとえばリズムなんか譜面にできない。不規則だし。それでも、徹底的にコピーしたのですが、結果として男と女の差が出たのだろうと思っています。「大人になって、愛のなぞがとけて、ひとりきりじゃいられなくなる」。そんな内容も男の人がいうのと、女がいうのとでは違う。男が愛自体を信じるのと女が愛の手触りを信じるのとの違いかな。女が「ひとりじゃいられなくなる」って本気でドロドロに歌ったら、R&Bみたいになっていくと思うんですよね。だから、言っていることは深いけど、サラッと歌い上げる粋な女−−みたいになりたいところはあった。それと男の人と比べて女のシャウトはヒステリックだから、ギターの高音部分を強調したくなる、とか、そういう自然の成り行きで全体の印象が軽くなった部分もあるでしょう。モッズの「激しい雨が」(昭和58年)も一緒だと思います。

もっともストレートなのは、レベッカ「フレンズ」(昭和60年)かもしれない。レベッカには格別の思い入れがある、という。中学2年生のときから始めたというバンド活動の思い出などを教えてくれた

大黒 歌うたびに、ノッコ(レベッカのボーカルを担当した女性)が登場したときの衝撃を思い出します。レベッカは全曲コピーしました。私自身のバンド活動は中学2年生のときから始まります。女子校に通っていたんですが、隣の男子校に通う幼なじみから「バンドやろうぜ」っていわれて。当時は、ラウドネスなどハードロックが人気で、そういうバンドの歌は高音を使う。すると男の子では歌えないというので白羽の矢がたった。私はチリチリのパーマをかけて、綱のような三つ編みをして登校し、放課後になったら、そいつらと一緒にバンドをやった。そのうち流星のごとくレベッカやボウイが現れて、人気はハードロックからビートロックに移るわけです。私は「ボーカル募集」という張り紙を見るとほかのバンドにうたいにいったのですがね当時は全部がレベッカのコピーでしたね。女性ボーカルのバンドでいえば、SHOW-YAはマニアック過ぎた。プリンセス・プリンセスはポップすぎた。レベッカはとんがっていたけど、ポップだった。80年代ですから、洋楽もおもしろくって、ボン・ジョビもいたし。ホイットニー・ヒューストンもいた。私もなんでも歌った。歌うのが楽しくてたまらなかった。だけど、今だってあのころの雑食性は変わっていない。大黒摩季のサウンドは、すべてがロックというわけでもないし、ポップだというわけでもない。軽音楽という広い守備範囲の中で好き勝手にやっています。それは、あのころの雑食経験からきていると思う。

いつでも、“今の自分”を好きでいたい
音楽との出合いは3歳のとき。母親がピアノを習わせた。「文字より先に音符を読んだ」。音楽は自分にとってのおもちゃ。ロールプレイングゲーム。平成4年のデビューから9年まではほとんどマスコミにも登場せず、公演も行わず、実体のない歌手といわれていたが、そんなときでも、本人はただ夢中に、楽しくうたっていただけであり、立ち位置はまるで変わらないという。昨年、11月に結婚したが、「新婚生活は、ほんどなし。合間合間でサービスしております」と笑うほどの忙しい毎日。

大黒摩季 大黒 結婚したら、かえっていろいろと動けるようになっちやった。“居場所”を探してさまよっているときは、遠くまでいけなかったのに、拠点ができたとたん、「帰るところがあるからいいや」と、じゃんじゃん出ていきたくなっちゃって。本当は活動ペースを落とそうと思っていた。実際、だんなさんにもそういってたのに契約違反。これまでは自衛してきたのが、命を守ってくれる人ができたら「さあ、どこへいこうか」。拠点ができて、より挑戦心は出てきた。やりたいことが増えて、いいことですね。悪くないと思っています。レコード会社を移籍し(平成13年)、全国ツアーもやった。結婚もしました。昨年をひとつの節目として原点に返ろうと思っただけ。それが今回のコピーの企画ですね。いちばん音楽に夢中になっていて、いちばん音楽が楽しくて、好きだった時代。歌うのが楽しくてしかたがなかったころの、生き方までも全部コピーしてみよう。だから、「カバー」じゃなくて「コピー」なの。高校時代の、ミニスカートに網タイツをはい、チリチリパーマにしていたころの気分に戻れる、タイムマシンのようなバンド。そういうのを作っておけば、一度限りじゃなくて続けてやることもできる。人様のものを懸命にコピーするってことは、もう1回、体にメロディーを入れること。それは、次にオリジナルを作るときに、フィルターを通って出てきます。放出するだけで生きていくと、尽き果ててしまうな、という緊迫感があったことも事実。もう1回、勉強することで40歳になっても50歳になっても伸びていく歌い手でいたい。

今回の作品を、かつてのバンド少年・少女たちに「きっかけ」に利用してほしいという。押入にしまってしまった楽器をもう1度取り出すきっかけにしてほしい、と。最近の若者は、バンド演奏よりも機械を主体にした音楽制作のほうが主流。そして、彼らは実に巧みに音楽を作り、舌を巻くこともしばしばだという。が、それでもバンドでの演奏のほうが楽しいし、いいものだと思っている。くやしかったら、私たちぐらいカッコよく演奏してみろ、そういってやるのだという。

大黒 私たちも、サラリーマンの元バンド少年も、バンドやって、キラキラするということなら、同じなんです。なんかやってほしいな。でも、意外とやっているんだよね。私の友達も、札幌帰ると「また、やろうぜ」なんていってくる。「あんた、ちょっとさぁ、私なんか、ずっと仕事で音楽やっているんですけど」なんて思いながらも、うれしい。みなさんと同じですよ。

音楽を続けるうえでのよい循環ができあがった、ともいう。つまり、コピーバンドわやるうちにオリジナルへの意欲がわき、本来の元気な歌に疲れてきたら、昨冬出したバラード集のようなものを再び、作る。そして、またコピーで吸収する…。

大黒 歌はスポーツと違って、年齢とともに表現力に深みがでてくる。私は常に今の自分を好きでいたい。今最高、みたいな。たとえ煮詰まってしまっても、抜け出ることさえできれば最高の自分になる。答えが出るまでがんばってよかったなと思っています。私はしつこいですね。遠回りしたとしても、これまでのところ答えは全部出してきた。そして、最近、自分のことがやっと分かってきた。ふつうの人が大人になるのと一緒かな。自分をコントロールできるようになってきた。今までは修業だった。名刺は配り終わった。次に進める。いい年のとりかたできている。

じゃあ、いまの自分は好き?

大黒 うーん、惜しいな、みたいな感じ。もうちょっとこうしたら格好いいのにねということは、いつもついて回る。大好きだけど、もっと好きになりたい。なりたい自分と今の自分との徒競走。欲張り。ふふ。私は、前向きかって? 前向きな人ほど前向きじゃない。ほんとうに前向きな人は苦しいときも前をむいていられるけど、私はそもそも苦しいことやっていないから。ただ好きなように生きたいから、そういう環境をつくる。そんな私についてきてもらうために、がんばる。ちょっとしたゲーム。命がけほどはすごくないゲーム。よくも悪くも音楽は音楽。楽しまなくてどうするっていう部分がありますね。