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舟久保香織 ENAK LONG INTERVIEW VOL.19
シンガーソングライター
舟久保香織

ここが私の歌う場所
石つぶてにでもなったつもりなのか。激しさを増した雨は、強い風が吹いていることをいいことに、会社帰り、あるいはこれからメーターを上げに行こうというサラリーマンたちに容赦なく襲いかかる。この時間、いつもなら猥雑な熱量で破裂しそうなJR新橋駅前広場が、今はがらんどうだ。

ドラッグストアの店の中からもれる照明が、にくらしい雨を銀色に映し出すと、人の消えた広場が、いっそう暗い闇の空洞となって浮き上がる。舟久保香織は、その黒いスポットライトの中で、ギターをかき鳴らして歌っていた。

5曲入りミニアルバム「実の根」(ロックチッパーレコード/OWCR-2010/¥1,800)でデビューしたシンガーソングライター。きょうは、その記念すべきCDの発売日だというのに、この雨だ。

いつもに増して気合いは入っていたが、予定した歌すべてを歌う前にギターをしまわざるを得なかった。雨に負けたわけじゃない。ただ、もう広場にはだれもいない。にくい雨に聴かせてやることもない。それにギターは昨日買ったばかり。海外で高い評価を得ている、ある日本メーカーのギターだ。たしか、米国のスーパースター、ガース・ブルックスが、日本の対米輸出超過だかなんだかに抗議するとステージでたたき壊したこともある。このカントリーシンガーにとっては、このうえない日本の象徴だったのだろう。そんな名器を濡らするのもつらい。

だけど、駆けつけてくれたファンに歌を聴かせられないのはもっとつらい。雨に打たれた細い腕で、愛器をケースにしまう。前髪からしずくがしたたり落ちる。歯を食いしばる。撤収しが終わったら小降りになった。まったく憎らしい雨だ。雨宿りしていた人たちが、おそるおそる踏み出して、やがてJR新橋駅前の広場は、いつもの喧噪を取り戻した。なに、あしたは晴れるだろう。舟久保はまた、ここへきて歌うのだ。この猥雑な喧噪の中で。

「何か壁にぶつかっている人のほうが私の歌を聴いてくれるから」

壁と闘う人たちのために
JR新橋駅前。そこは、サラリーマンのメッカ。テレビ番組などでも、オジサンの意見を求めるとき、リポーターたちは決まってここへ繰り出す。そんな場所を路上ライブの舞台に選んだ理由を、舟久保はそう説明する。

最初は別の場所だった。路上ライブを行ったのは、横浜の繁華街でだった。ちょうど、ゆずがやはり横浜・伊勢佐木町の路上ライブで話題を集め、デビューしたころだった。そして、なぜか自分の歌に熱心に耳を傾けてくれるのは30代のサラリーマンが多いことに気づいた。意外。同世代の女性にこそ訴えるものがあるのではないかと思っていたからだ。

歌を作り始めたのは19歳ぐらいのころ。当時は、ハードロックバンドのボーカルを担当していた。やがて、大音量のバンドを従えて精いっぱい声を張り上げることに違和感を覚え始めた。

「私は声そのものを聴いてほしい」

バンドを辞めるが、さて、ひとりになったら、いったいどうやって音楽を続けたらいいのか分からない。音楽が怖くなった。1年間音楽とは無縁の暮らしを送る。でも、歌いたい気持ちを抑えることはできなかった。そうだ、この1年抑え続けた気持ちを素直に言葉にしてみたらどうだろう。言葉は歌詞になり、旋律をつけたら歌になった。嘘のかけらもない歌ができた。心の奥底という深い井戸から、あえて隠している感情という水をすくい上げながら次々に歌を作った。ライブをやろう。でも、ひとりでライブハウスに出演する勇気はない。そこでひとりぽっちの自分の舞台として路上を選んだ。

「甘い、といわれるかもしれないですが、この1年は私にとって乗り越えるべき壁でした。他人に力を与えられるような立場じゃないけれど、心の奥に隠した感情を言葉に、歌にすることで私自身がたくましくなれたらいいなという気持ちを込めて歌を作っています」

だからだろう、と考えた。だから、自分の歌は30代のサラリーマンが真剣に聴いてくれるのではないかと。女性は20代後半になると、結婚して子供ができて、ぶつかった壁もリセットし、新しい生活に入っている。男性は違う。だから、壁にぶつかっている男性が、サラリーマンが耳を傾けてくれるのだろう。

新橋の前、東京・渋谷で路上ライブをやって、ますますその思いは強くなった。渋谷では「いい声だ」といってくれる人はいたが、歌の中身にまで触れてくれる人はいなかった。若い人が多い街。壁に悩む人の少ない街。では、どこだ。壁を打ち破ろうともがく人たちが多いのは。そこで、選んだのが新橋だった。

酔客が異様な熱量を放出する新橋は、決して優しい舞台ではなかった。最初のころはだれも立ち止まってくれなかった。やはり、こんな場所で路上ライブなどそぐわないのか。やがて、酔漢にからまれる。罵声を浴びせ、警官が出てきたライブが中止になったこともある。涙が出た。悔しさからではない。中止になってギターを抱えて帰る背中に、「ああいう人もいるけど、あしたもがんばれ」。通りすがりのサラリーマンが言葉をかけてくれた。

「そういう優しい言葉に慣れていなかったものだから、大泣きしちゃいました」

それを境に気持ちが切り替わった。もしも、ひとりでも私の歌を気にかけてくれる人がいるのなら、この場所で歌うべきだ。歌いたい。その後も黒山の人だかりができるわけでは、ない。だが、聴いてくれる人は確実に増えた。「きょうもやっているね」という目顔で横を過ぎる人も増え。足元に自分のホームページのURLを記したボードを置いてあるが、サイト内の掲示板の書き込みからも手ごたえは感じられた。「立ち止まってそばで聴くのは恥ずかしいけれど、いつも遠巻きに聴いています」という五十代男性の声が寄せられた。

2割の光で人は生きていく
ミニアルバム「実の根」は、聴いて愉快な気持ちになる作品では、ない。それは意図的なものでもある。

「歌を作るとき光と陰が2:8の比率になるよう配分を心がけています。8割の陰に2割の光が差し込むなら、その歌はうそではない。人ってその2割の光のために生きようよという気持ちになるのではないでしようか。この比率、私だけじゃなく、ほかのひとの人生においても“リアルな”割合なのではと思っています」

表題の「実の根」は変わった言葉だが、根っこというのは地面に隠れている。真実の根っこだって地面の下に隠れている。その隠れている根っこの部分を歌っているということなのだ。つまりは、さまざまな心底を歌にしている。地面の下は陰だ。根という陰は地上の枝葉よりも長い。光と陰の比率はやっぱり2:8なのかもしれない。

背筋がピンとしている。実際に姿勢がよいからなのか、デビューにあたって気持ちが張りつめているからなのかは分からない。いずれにしても、インタビューでの第一印象は、背筋がピンとしている、だ。

東京で生まれたが、ぜんそくがひどかったため、小学生のときに神奈川県葉山町に転居したという。中学生のころは登校するだけで難儀だったというが、卒業文集には「歌手になりたい」と書いていた。折からのバンドブームで大好きになったバンドの“追っかけ”までできるほどに健康は回復した。今も神奈川県内に住み、生活費は横浜界隈でアルバイトをして稼いでいる。バイトが終わったら、JRに乗って新橋駅前に通った。

デビューCDが出たところで、新橋での路上ライブは小休止。舞台をもっと広げたいからだが、それでも月に何度か新橋に戻ってくるつもりだ。

「生で聴かせて“ナンボ”。私の音楽のよしあしをは、ライブに来ていただいて判断していただけたらと思います。路上を含め、ライブで人を集められるような歌手になるのが目標ですね。歌は私にとって鏡です。私は歌を通して自分を見ていんです。だから、嘘のない歌を歌えている。そういう自信はあります」

TEXT & PHOTO BY TAKESHI ISHII/石井健


実の根(ジツ ノ ネ)
OWCR-2010 ¥1,800

01.最後の目覚め
02.その声を
03.無責任な素顔
04.心動
05.根の行く方へ
PROFILE
神奈川県葉山町出身
短大卒業後、ハードロックバンドで曲作りとともに月に1回程度のライブ活動を行うが、音楽性に違和感がおぼえ、その後、ソロに。とくに活動はせず、曲作りとバイトに明け暮れる日々を過ごす。が、歌いたい衝動が抑えられず、路上でギターの弾き語りを始める。
15年5月『最後の目覚め』が日本テレビ運営の音楽サイト「音市」に登録される。リスナー投票によりランクアップし、7月 同局の「AX MUSIC TV」内「音市」のコーナーに出演。 以後番組内で数回に渡り取り上げられる。
15年10月 ソロによるライブ活動を始動。16年9月、5曲入りデビューミニアルバム『実の根』発売。
公式サイト
http://www.yellowjam.jp/kaori/
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